花火の写真を撮り続けて42年――高校2年生のときに初めて見た花火の衝撃が忘れられず、日本でも数少ない「花火写真家」になった金武武(かねたけ・たけし)さん。

 芸術的かつ見たものを興奮させる花火写真を撮ることで名高い金武さんだが、写真家として名を成すまでには虚弱や白内障、同業者からの批判などさまざまな困難があった。それでも彼が「花火のありのままの美しさ」を撮ることを諦めなかった理由とは?(全2回の1回目/後編を読む)

花火を取り続けて42年――花火写真家・金武武さんの人生とは ©文春オンライン編集部

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きっかけは「人生で初めて見た花火」

――なぜ「花火写真家」に?

金武武さん(以下、金武) 元々父の趣味がカメラで、僕も子どもの頃から親しんではいたんです。決定打は17歳の時。夏休みに偶然見た花火との出会いで、写真の道に進むことになりました。

 当時、横浜で友人とプラプラしていたら、浴衣の女の子たちがいて、横浜の山下公園で花火大会があることを教えてくれました。それまで花火に興味はなかったし、見たこともなかったんだけど、女の子がいるなら、ちょっと行ってみようかなと……(笑)。

 それで行ってみたら、山下公園は大変な混雑ですっかり気持ちが萎えちゃって。帰る?なんて話をしていたら、いきなり花火がドーーン!!!!と夜空に広がりました。

 その瞬間、体が揺れたんですよ。うわあすげえ、まぶしい、きれい……大迫力の1発を、数十万人が一緒に見てる。こんなエンターテインメントが世の中にあったのかと。

 あまりの衝撃と感動で、学校が始まってからはクラスメイトに「花火見たことある? 今度一緒に行こうよ」って声をかけまくりました。でも、全員に断られて。悔しくて「じゃあ俺が写真撮ってきてやる!」と奮起して、写真を始めたわけです。

――その時から、カメラマンになることを意識した?

金武 なれたらいいなと、夢に思うことはありました。でも、大人たちからは一様に「食っていけないぞ」と反対されて。それで、一旦はコンピューターの専門学校に行って、プログラマーになったんです。

 でも、頭の中は常に花火とカメラのことでいっぱいで、苦しい時期でした。プログラマーの仕事も情熱がないからついていけない。最終的にはノイローゼになってしまい、2年ぐらいで辞めてしまいました。

 写真の仕事をしたいと思うようになったのは、それからですね。なんとか未経験でも雇ってくれるところを探して、結婚式場のカメラマン見習いの仕事に就くことができました。でも、式場だから働けるのは土日だけ。当然食っていけません。

 それで平日は知的障がい者のサポートをする福祉施設の指導員や、救急救命士の仕事に従事していたわけです。