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「こんなの写真じゃねえよ」目の前で作品をビリビリに破られたことも…それでもカメラを手放さなかった「59歳・花火写真家」の執念

花火写真家・金武武インタビュー #1

2022/08/21

――式場や平日の仕事も「人を支える仕事」ですね。

金武 僕は小さい頃から病気がちでねぇ……。それこそアトピー、喘息、結膜炎、鼻炎、過敏性腸症候群、食物アレルギーなど、もうハンデだらけでした。

 大人になってからは誰か人のために役立ちたいなという気持ちもあって、人を支える仕事を選んだのかもしれません。そのおかげか後々、若い時に経験した仕事はすべて「自分の人生に必要なものだったんだ」と気付けるのですが、一方で20代の頃は悶々としていましたね。自分がやるべき仕事は何なんだろうと。

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 中途半端な状況を抜け出すべく、30歳のときに「仕事は写真だけに絞ろう」と覚悟して、それ以外の仕事はすべてやめました。でも気持ちとは真逆に、体調はどんどん悪化。普通の食事も喉を通らず、3ヶ月間リンゴだけで生活したこともあります。

 もう当時は皮膚もボロボロで、人に会うのも嫌でした。電車に乗ると、僕のまわりだけ人がいなくなってしまうんですよね……。僕は生きていちゃダメなのか? そんなふうに思うこともありましたが、なぜか写真や花火のことを考えているときだけは、病気のことを忘れられたんです。

「カメラマン人生終わったな」と言われたことも

金武 苦難はまだあります。今度は利き目である右目が白内障になってしまいました。白内障になると、まるでレースカーテン越しにものを見ているような感じです。経験でカメラのピントを合わせることはできたけど、やはり不自由なので手術することを決めました。

――カメラマンにとって「目」は大事な商売道具。不安はありませんでしたか?

金武 もちろんすごく不安でした。白内障の手術をした後は、多くの同業者から「カメラマン人生終わったな」と言われました。でも、撮影で失敗することはなかったから、自分の道を突き進むしかないと思いました。

 そして退院した年の夏、横浜マリンタワーの1階を借りて、初めて写真展を開催したんです。花火写真家としての最初の仕事と言ってもいいかもしれません。

 これが17歳のときに「人生で最初に見た花火のイメージ」を表現した写真です。

「福田式」で撮影した花火写真 ©金武武

――すごい……! 確かに写真でしか表せない花火ですね。ここにたどり着くまでにどれくらいの苦労が?

金武 撮れたのが27歳のときだから、10年の歳月を要しました。花火の写真だけを追求する人は少ないので、当然まわりには花火の正しい撮り方を知っている人はいません。

 とにかく試行錯誤して、「福田式撮影術」(※編集部注:福田は金武さんの旧姓。2009年から金武姓に)を編み出したわけです。