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内海と長野は一概に「失敗」とは決めつけられない

 内海が巨人を去ったオフ、長野久義も丸佳浩の人的補償で広島に移籍した。しかし、長野も首位打者に輝くなどした巨人時代の姿は戻らず、12月には38歳となる。

巨人時代の長野久義 ©文藝春秋

 その他にも巨人では16年に平良拳太郎が山口俊の代わりに横浜に移籍した。将来を嘱望された右腕も新天地では故障のため、いったん育成選手になる憂き目に遭っている。

 17年には高木勇人が野上亮磨の代わりに西武に移籍。15年に巨人で9勝をマークした右腕も、西武では1勝と精彩を欠いた。こちらも移籍が転機とはなっていない。

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高木勇人 ©文藝春秋

 ただ、内海と長野に関しては一概に「失敗」とは決めつけられない。前出の元監督が続ける。

「ともにチームで他選手に好影響を与え、内海は兼任コーチを任されるまでに人望を集めました。長野も同僚に慕われており、指導者になれる存在。移籍先で戦力として以外でも必要とされたのは前向きに評価してもいいでしょう」

 豊田清の人的補償で06年から西武でプレーした江藤智は復活を果たせず、引退後にコーチで巨人復帰を果たした。

「内海と長野の2人は他球団の指名を拒んでまで巨人入りを通した上、人的補償としてある意味チームの犠牲になった。今後、何かあっても巨人が職に困るようにしないはずです」(在京セ・リーグ球団幹部)