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3年前の夏、U-15侍ジャパンのトライアウトの会場で、智弁和歌山の中谷仁監督は強肩・強打の捕手を眺めながらこうつぶやいた。
「ああいう選手が、大阪桐蔭に行くんでしょうね……」
“大阪の巨人”への反骨が生んだもの
有り余る戦力を抱える“大阪の巨人”への反骨から、実績は及ばずとも成長が見込める精鋭を集め、寝食を共にして鍛え上げてきた。
一学年10人から門戸を少し開放し、新設した寮には近畿以外の球児も迎え入れた。伝統の打撃に特化した野球は継承しつつ、冬に1カ月の自主練期間を設けるなど、高校野球の常識にない独自色も打ち出してきた。
「決して能力は高くない子供達でしたが、頼もしく成長してくれた」(中谷監督)
晩夏まで続いた甲子園で、最後に笑ったのは中谷監督と智弁和歌山ナインだった。