理想とする教師像と現実のギャップ
中学校で教師をしている友人にこの話をしたとき、友人は苦虫を噛み潰したような顔をしてこう話してくれた。
「多分、その先生の中にも複雑な葛藤があったのではないか。学校現場において、とにかく教師は時間的にも精神的にも余裕がない。自分自身も学校で少し様子がおかしい、気になる生徒がいても、その子ひとりにしっかり時間を取って介入してあげられるような環境が整っていない」
友人は一度、家庭で複雑な事情を抱えている生徒から相談を受けた際に、どうにかしてやりたいと思って校長に話をしたことがあるという。しかし、校長からは「厄介なことに首を突っ込まないでくれ」と言われるばかりで、保護者と話をしようにも「ただでさえ業務が回っていない状況なのに、苦情に繋がると対応が大変なのでやめてほしい」と止められ、連絡すら取ることができなかったという。
子供のメンタルヘルスに関心がある友人は、普段からできるだけ生徒の話に耳を傾けるよう気を付けているというが、休憩時間は基本的に次の授業の準備や移動でほとんどが潰れてしまう。ほとんどの仕事を放課後、部活が始まるまでのわずかな時間と部活が終わったあと、あるいは早朝に出勤して大急ぎで片付けなくてはならない。仕事を家庭に持ち帰ることは日常茶飯事で、土日も部活の練習があるため、ただでさえ自分の時間を取りづらい状況にあるという。
「そんな労働環境では、さらに時間を切り詰めてまで生徒の家庭事情に首を突っ込もうとする先生がなかなかいないのは、想像に難くない」という友人自身もまた、理想とする教師像と現実のギャップに苦しみ、頭を悩ませているようだった。
動物を使った「命の教育」のしわ寄せまで
教員に課せられる過重労働のなかには、学校で飼育されている動物たちの世話なども含まれる。
今でも多くの小学校では「命を慈しむ教育」の一環としてウサギやインコ、モルモット、金魚などの飼育が行われている。しかし、当然ながら生きている動物の世話に休日などはなく、放課後や土日、長期休暇中の世話は教員たちが担っているケースが多い。動物が病気になってしまった場合は病院に連れて行ったり、教員が引き取って面倒を見ることもある。