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正月に親戚に会わなければならない問題

「年末年始ぐらいはゆっくり」というけれど

2017/12/28
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何が晴れ着だ、何が初詣だ。この渇きをお前も味わえリア充どもめ

 最近では人手不足もあって年末年始はお休みしますという店舗も出てきて、それって働き手がいれば店を開けるつもりだったのかというツッコミもありつつ年末を静かに過ごす雰囲気が少しずつ出てきたのは良いことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。人によっては年末年始も休まず経済を回すべきという考えもあるでしょうし、そういう経済成長のための経済成長を強行して背伸びしすぎた結果、日本人の、家族としずかに過ごす時間や日本文化の本来持つ情緒が失われたという思いを持つ人もいるでしょう。実際、私も結婚するまで年末年始を大人しく過ごすという選択肢をもっていませんでした。まあ、普通に働いていたわけですね。理由は簡単で結婚するまで家族もいないし童貞だし何かしていたかったからだよ。何もしていないとね、イライラするんですよ。何が晴れ着だ、何が初詣だ、人生アクセルを地べたまで踏んづけて爆走して働くのが生きざまってもんだよ。お前らなんかに私の気持ちが分かってたまるか。この渇きをお前も味わえリア充どもめ。そう思っていた時期が私にもありました。

写真は浅草寺 ©iStock.com

実際に家族を持ってみると

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 実際に家族を持ってみると「年末年始ぐらいはゆっくり」という話が頻出します。親戚一同顔を合わせてとか、義理の兄妹に子供が生まれたのでニューフェイスを拝みに行くなど、人として本来もっているはずのイベントというものが発生してしまうのです。なんだろう、この必要なんだろうけど実に、実に気まずい空気は。自分の生家や家内の実家ならともかく、年に何度も顔を合わせることも無い親戚との間の、ぬるい瓶ビールを注ぎ合う、さほど美味しくもない出来合いのおせち料理を喰う、興味の持てない近況報告、絶対に足を向けないであろうお前らの近所の暮らし、最近見ない親戚に関する最新情報、そこに結婚適齢期をわずかに過ぎようかという独身淑女がいようものなら容赦なく「そろそろ結婚は?」「お母さんにそろそろ孫でも抱かせてあげないと」というプレッシャーを与え、冷えた空気がさらに絶対零度へ向けて大寒波待ったなしの戦況になるわけですよ。だいたい「うちで頑張って作ってきたの、みんなで召し上がって」「うちも家庭料理持ってきたからみんなで食べましょう」と押し付けられる、タッパーに入った冷えて美味しくない料理自慢。あるいは「あそこのご子息はどこそこの大学出たのにニートですって」「それに比べてうちの子は」とかいう親戚同士の意味のない比較。さらには「この前の検査でついにこれ以上悪くなったら人工透析ですって言われてよ」「俺なんか一昨年胃袋半分以上取ったら飯が食べられなくてさ」といった病気マウント。お前らそういうコミュニケーションにいったいどういう意味があるの。一度風呂上りに鏡でものぞき込んで自分の心と精神の対話をしたほうがいいんじゃないでしょうか。これなら働いたり、家族だけでどっか出かけていたほうが楽しいんじゃないかと思うぐらいなんですよね。もう近況とかfacebookで適当にグループ作って垂れ流しておけばそれで済むものなのに。

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