武道館に断られたわけ
――武道館では、やっていなかったですか?
鳥肌 日本武道館はですね、断られました。私の右寄りの芸風が嫌がられたのかと、憤慨しましてね。日本の武道館ですよ。右翼万歳、右翼上等じゃないのかと。
「韓流スターには貸し出して、鳥肌実には使用許可を出さないとは、一体どういう了見なんですか?」と鼻息荒く理由を問い質しました。すると担当者がですね、「政治的な話ではなくて、鳥肌さん。噂で聞いていますけども、お脱ぎになるそうですね」と。
恐ろしいことに、思想は全く関係ありませんでした。ただ単に、私の公然わいせつが問題なんだと。実は、当時というか、駆け出しの頃はまだまだ芸が未熟で、ネタが飛んで切羽詰まると、全裸になって無言になるというあり得ない悪癖が度々……そう、苦し紛れに脱いで素っ裸になっていたんです。
大川興業の大川総裁にも、若かりし頃に随分怒られました。「お前、脱いでもいいけど、脱いだら何かしろよ」と。当時の私は、素っ裸でぼっさり仁王立ち。客席は、悲鳴とどよめきしかない、なんてことが多々ありましたから。そんな素人同然の私を、ライブに出演させ続けてくれた大川総裁!(感極まって立ち上がり、クリームソーダを一気に飲み干す)
その節は、誠にお世話になりました! 総裁のおかげで、私もようやく一端の変態芸人に仕上がりました! 汗かきジジイ(俳優・芸人の今井彰一)にはまだ勝てませんが、芸人道、精進致します!
クリームソーダ、もう一杯! クリーム多めで!
――武道館なんて、鳥肌さんにはピッタリだと思うんですけどね。靖国神社も目の前ですし。
鳥肌 身から出た錆です。武道館芸人になれなかったのは。いまは、間違ってもそんなことはいたしません。グンゼの白ブリーフはどんな事があっても必ず1枚残しています!
師走の九段会館、矢沢永吉の思い出
――武道館に断られ、その代わりに選んだのが代々木第一体育館だったと。
鳥肌 同じ日に、第二でパンクラスの試合をやっておりました。第二というのは小さいほうで収容人数が4000人、私がやった第一の収容人数は1万3000人。……勝ちました。
靖国神社の目の前といえば、その後長きにわたり、武道館の真横にあった九段会館。そこで私は東京公演をやっていくことになるわけですが、必然といえば必然だったんでしょう。二・二六事件の戒厳司令部があった旧称、軍人会館ですから。
2011年の東日本大震災による崩落事故で閉鎖されるまで、ですから約10年間、毎年ツアーファイナルは師走の九段会館で、1週間興行をやっていました。