「皇居に向って敬礼」「死ね、お国の為に」「無所属廃人」……。目に飛び込むや否や緊張を強いられる文言が刺繍された“玉砕スーツ”をまとい、25年以上にわたってステージに立ち続ける芸人、鳥肌実(52歳)。
長年、距離を置き続けているテレビ業界、かねてから語っていた選挙出馬の可能性、社会が右傾化するなかで変容した演説芸の受け止められ方などについて、話を聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)
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鳥肌実(以下、鳥肌) クリームソーダをお願いします(気づけば、アイスコーヒーのグラスが空)。
――かしこまりました。では、インタビューを続けさせていただきます。ブレイクしたなと実感なさった瞬間みたいなものはありましたか?
鳥肌 ブレイクは……本当にあったんでしょうか、今となっては昔の事過ぎて記憶も朧(おぼろ)げですが。2000年頃、ですから今から22年前ですね、ブレイクらしきものは……あったんでしょう。
ピン芸人として自分の主戦場は、あくまでライブの世界だと考えていましたから、全国ツアーを回り始めてボチボチ知名度も上がり、2001年に、東京ベイNKホール、代々木第一体育館、大阪府立体育会館と、アリーナクラスの単独公演が立て続けにソールドアウトして、これはもう芸人のライブの動員力としては完全に頭1つ、いや、アズ・ナンバーワンじゃないかと、確かにその時は悦に入っていました。
「きみまろ旋風」に圧倒されて…
しかし、それも束の間ですね。ちょうどその頃、綾小路きみまろ師匠が大ブレイクを果たされまして、メディアにも大々的に取り上げられ、凄まじい“きみまろ旋風”が吹き荒れていたんです。
私も普通に客として師匠の爆笑スーパーライブを見に行きましたが、動員力もさることながら、その脂の乗り切った毒舌漫談のパワー、スピード、持久力、胡散臭さ、全てに圧倒されました。しかし、大先輩の圧巻のパフォーマンスを目の当たりにし、ピン芸人として自分の目指すところは、何となく見えた気がしました。
さらに同時期に、稲川淳二さんの怪談ナイトも、これまた凄まじい動員力で全国展開されておられまして、全国どこに行っても、「夏といえば稲川淳二!」と、自然と耳に入って来る恐ろしい状況でしたから、あの当時、お二人が二大巨頭でおられたことは良い刺激となりました。
もちろんお二人とも今も変わらず、現役バリバリで全国回っておられますから、まだまだ到底かなわないです。