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広島・大瀬良大地の一軍復帰で考える“結局エースってなんなのさ”問題

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/09/06
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エースの称号は却って害になりかねない

 そうは言っても、ある投手を「エース」と呼ぶ場合、そう呼びたくなる何かを備えているはずだ。「エース」と呼ばれた当の本人は、その要素をどう自覚しているのか。たとえば黒田博樹はその要素を「安心感と信頼感」とし、「今日の試合、こいつが投げるっていう時に、チームやファンが安心感を持てる。それが信頼感になると思うし、そういうのを与えられるピッチャーこそがエースだと思う」(※注4)と語っている。大野豊はエースの条件を「1.最低でも15勝を挙げていること 2.勝負をあきらめず、投球で士気を挙げられること 3.継続的に結果を残していること」(※注5)としている。もちろん成績も重要だろうが、共通するのは「チームを勝たせようとする精神」が感じられることではないだろうか。

 前田健太というエースが抜けた2016年以降、大瀬良は次世代のエースと評されるようになった。しかし2015年シーズンの大半は大瀬良は中継ぎとして登板していたわけで、なぜ「エースの引継ぎ」がスムーズに行われたのか。それは前述の2015年の最終試合、ベンチで号泣する大瀬良を前田が慰める姿が、多くの人の心に強烈な印象を残したからではなかっただろうか。「マエケンの精神の後継者は大瀬良」と、あの時誰もが思ったはずだ。

 大瀬良は、そうした「エースの自覚」を常に抱きながら振舞ってきたように思う。それが良いパフォーマンスに繋がるのであれば理想的だが、その重圧がプレッシャーになったり本人を苦しめたりするのであれば、エースの称号は却って害になりかねない。

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 こうなったら、その「エース」の重圧を分散させてはどうだろうか。思えば私がカープファンになった1990年も、チームには北別府、大野、川口、佐々岡の他にも長冨浩志や金石昭人など、「エースが複数いる状態」であった。「かわいいエース・森下」「左腕エース・床田」、「頑丈エース・九里」といったように、いろんなエースがいることで、大瀬良の負担が軽減されるのではないか。投手王国にはエースが何人いてもいいと思うのだ。

カープのエースの系譜 ©オギリマサホ

※注1:中国新聞(2022年8月13日)
※注2:「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」(2022年9月2日放送)
※注3:『広島東洋カープ カープ投手王国の系譜』(B.B.MOOK 1034・ベースボール・マガジン社・2014)
※注4:『Number』659号(2006年)
※注5:『広島アスリートマガジン』(2020年6月号)

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