この光景を望んでいた野球人がいた。

 ツーボール・ノーストライク。スリーボール・ノーストライク。投手が不利なカウントで、スタジアムから湧き起こる拍手である。

 かつては、ちがった。ボールが先行すると、スタンドからはため息が聞こえ、厳しいヤジが飛ぶことも少なくなかった。

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 そんなとき、彼は、放送を通じてファンに語りかけた。

「こういうときに、ピッチャーを激励する拍手が起こるようなスタジアムであって欲しいですね。札幌ドームなんかでは、同じような場面で拍手が起こっていました。ああいう空気は良いですね」

 声の主は、現在、カープで投手コーチを務める高橋建さんである。といっても、現職の話ではない。2011年から5シーズン、筆者は、野球解説者の「建さん」と放送席を共にした。端正な顔立ちに、ソフトな声。テレビCMなどでは、少年少女に優しく声を掛けるシーンも印象に残る。「理想のお父さん」的な雰囲気と、豊富な野球経験に基づく理論で、人気を博していた。

 だからといって、「ボール先行での拍手」は、ただの「優しさ」に起因したものではない。現役時代は、チーム事情に応じ、先発も中継ぎも務めてきた。39歳で、完封勝利もマークした。そして、ニューヨーク・メッツに移籍すると40歳でのメジャーデビューも果たした。経験値は、海千山千だ。解説でも、放送を聞き直し、「そうですね」という口癖を省く努力をしていた。ソフトかつ快活な語り口で、司会者なしの講演だってやってのけた。2016年から21年は、タイガースでコーチも務めている。

 人生経験をさらに深めた「建さん」に、今、あらためて、あの「拍手」の話を聞いてみたかった。

現役時代の高橋建 ©時事通信社

タイガースで掛布雅之さんから学んだ打者心理

「今度、あのときの話聞かせてください‼︎」

「え、今でもいいよ」

 この空気感は、やはり「建さん」だった。一方で、自説は極めてリアリストのものであった。

「スリーボールまではピッチャーの権利。そういう表現もありますし、そう思って野球をやってきたところもあります。四球ではいけませんが、ボール3球を使って、その中でアウトを奪っていきます。解説をやっていて、そりゃ、古巣のカープに勝って欲しいから、勝利の確率が上がるようなコメントを心がけていました。だから、ああいう話をしたように思います」

 その価値観は、実体験にも基づいている。例えば、メジャーリーグである。

「初登板は、フィリーズの本拠地であるフィラデルフィアでした。そこでは、ブーイングを受けましたね。まぁ、『お前は誰だ?』というアウェーの洗礼のようなニュアンスです。しかし、アメリカで、ボール先行でブーイングを受けたことはありません」

 さらに、タイガースのファームでコーチを務めていたときにも学びがあった。当時、二軍監督を務めていたのが、通算349本塁打の強打者・掛布雅之だった。

「掛布さんが『スリーボールからの勝負』という話をしてくれました。仮に、スリーボールとなっても、そこから、スリーワン・スリーツーとカウントを戻すごとに、今度は打者が追い込まれていく。そういう心理を学ばせていただきました」