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 ディアトロフ峠事件では何人かの裸の遺体が〈濃い茶褐色〉になっていたというが、これは遺体が「日焼け」したことによって起りうる現象とされた。日本の事件でも発生前後は晴天と見られ、雪上に露出していた手や腕が日焼けによって変色した可能性はある。

 果たして1959年のソ連の〈濃い茶褐色〉と、1887年の日本の〈紫色〉は、同じ色だったのかどうか。だが〈紫色〉となると、私には何か血液系の異常が関連していたように最後まで思えた……。

 ちなみに前出記事の後段では、現場となった「寶川」が数十年前に孫の乳児を食い殺して逃げた〈磯次郎婆〉なる〈鬼婆〉がいたという地元の逸話があるとして、一部の村人が〈此度清水村猟夫の横死も全く磯次郎婆の所為なるべし〉と怪談じみた尾ひれをつけていると報じている。

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 私は現地で亡くなった5人のものと思われる墓も調査したが、墓石の文字は風化して判読不能だった。人知れず降り積もった135年前の彼らの無念を思わざるを得なかった。

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