火山、温泉地帯であれば二酸化炭素中毒もありうる。例えば1997年7月に青森県の八甲田山で訓練中の自衛隊隊員3人が死亡している。あるいは硫化水素でも同じく八甲田山で2010年6月に山菜採りの女子中学生が死亡している。これらのガスであれば、全員が散り散りに死亡していたことの説明はつくが、やはり手の色だけが紫色に変色していた点が当てはまらない。
小屋の中の1人は火を起こそうとしていた?
もうひとつ気になる点がある。小屋の火床に半身を突っ伏して亡くなっていた男性は、なぜ仲間に助け起こされなかったのだろうか。
恐らく4人が小屋の外に出た後で、「狩りを仕切っていた」リーダーであるこの男性だけが最後まで火を起そうと努力したが、発火ができずに力尽きたようにも見える。秋田県の猟師なら悪条件でも火を起せるものだがマッチが無いと、この時代でも発火は難儀しただろう。あるいはマッチが汗で濡れていたかもしれない。一度濡れてしまったマッチは乾いても再発火は難しい。
当時、新潟市にあった測候所の記録では3月末日の気象は安定しており、一行が4月1日に入山したのは合理的な判断と思われる。当時の気象データは気温と降水量(この時期は降雪量)しか無いが、それによると入山翌日の2日に大雪が記録されている。
となると、ディアトロフ峠事件同様、雪崩で各人が小屋から押し流されたのだろうか。
だが、記事にある通り、小屋は崩壊しておらず中にいた1人は作業(火起こし?)に没頭している様子が窺え、雪崩説は諦めざるを得なかった。
〈紫色〉の皮膚の謎
以上のことから、私が下した推論は以下の通りだ。
【事件が起きたと思われる4日から5日にかけては晴天とみられ、新潟市の最低気温はー1.1℃であり、クマ狩り地域である山中のブナ帯では恐らくー10℃ほど、風があればマイナス20℃ほどだったと考えられる。
一行は5日、狩りでのラッセルから疲労困憊で小屋に帰着、安心感からくる脱力で濡れた衣類の温度が低下しているのに気付かず、低体温症に陥る。火床に突っ伏していた男性が発火に努力し続けたが叶わず、そのうち4人が体温低下に伴う意識障害で室内を「暑い」と感じて、小屋の外へ跳び出し服を脱いでしまう。
これは凍死者によく見られる「矛盾脱衣」という現象だ。人間は長時間、極寒に晒されると体温低下を阻止するため、熱生産性を高めて、皮膚血管を収縮させるなどして体内から温めようとする働きが強まる。すると体内温度と外気温との間で温度差が生じ、その状態を「暑い」と脳が錯覚してしまうのである。
結果、さらなる体温低下により死亡。6日に降雪があり、手など突き出た露出部は紫外線によって紫色に変色した】
つまり死因は低体温症による凍死ではなかったか。私は厳冬期のクマの観察のために冬山に入るので、その危険性についても少しは体感している。
私の場合、冬山では羊毛下着の上下を用いたが、温度は下がらない利点はあるがそれでも揮発性が悪くて濡れて不快だった。明治時代であれば、木綿の下着であったろう。だとすると冬山での発汗は即体温低下をもたらし、今よりもはるかに低体温症の危険が高かったはずだ。