昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

不可能を可能にしてきた男 阪神・糸井嘉男に捧ぐ3000字のメッセージ

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/09/15

拝啓 糸井嘉男様

 お疲れさんでした。泣きすぎて、わてらファンも涙涸れてしもた。ほんまに泣いた1年やったよ。振り返ったらなぁ、あなたは今年、こんな話を良くしてたやんか。

「僕、活躍できると思います? レギュラーなれますかね。ええ選手がめちゃくちゃますよ。どうするのが一番ええんすかね……」

 いやいや、あなた首位打者を獲って盗塁王を獲得して何回ベストナインなってんねん!

 て、何度、心の中で叫んだことか。

 信じられないくらいの身体能力を持ってて、この肩幅で飲食店の扉入っていけるかな? 通れるかな?と思うくらい立派な身体してて。でもホンマは謙虚で結構な心配性で、いつも自分のことを謙遜していて……気が付いたらバットを振り、グラブを持ち、時間があったらトレーニングをして常に野球のことを考えている超人・糸井嘉男さん。

オリックス時代の糸井嘉男

野手・糸井嘉男は信じられない量の練習で生まれた

 ピッチャーとしてファイターズに入団して、クイックモーションに悩み、思うようなボールが投げられなくなり野手に転向。世間の皆さんには糸井嘉男がすぐに野手として成功したように見えてるかもしれへんけど、ホンマはめちゃくちゃ苦労している……というか、信じられない量の練習をして野手・糸井嘉男が生まれたんです。

 本人は自分から苦労や努力を言うことはないけど、野手として結果が出たのは「誰よりも練習したから」。キャンプ中もご飯に行く直前までバットを振って、気が付いたらグラブとボールを触ってて、「あれ? 嘉男くん、どこ行ったん?」て連絡したら室内練習場でずーっと一人で打撃マシン相手にバット振ってる。

 春季キャンプの清武球場に取材に行ったら夜は宮崎牛のお店に連れて行ってくれて、小谷野栄一くんといつも色んな話してくれる気遣いのよっぴマン(糸井嘉男のあだ名です(笑))。僕がある時、取材が長引いて食事に行くのが1時間くらい遅れると連絡したら、待っている間、腹筋背筋の体幹トレーニングをずっとしてた……これホンマの話です。というか糸井嘉男にとっては当たり前の時間の使い方。

「八木(智哉)がオリックスにトレードになって、新天地で頑張れよ! 対戦しよな!て連絡したら、そのすぐ後に僕も球団事務所に呼ばれてオリックスに移籍になって……八木にまた連絡して、俺も一緒に行くことになった!て。プロの世界は何が起きるかわからんですよね」

 あれだけ練習して、これ以上、練習したら怪我するんじゃないかと思うくらいギリギリまで自分を追い込んでレギュラーを獲得したあなた。ファイターズからバファローズに移籍して、またゼロからのスタートて言うてたよね。実績あるけど、白紙の状態に戻って、またレギュラーになるための日々が始まる。「僕、大丈夫かな?」「試合に出れるかな?」て不安な気持ちと向き合う日々を吐露してくれた。慢心なんて1ミリもなかった。

z