新入団記者会見に3人の健太がいた。ドラフト3位の谷川原健太捕手、ドラフト5位の黒瀬健太内野手、そしてドラフト4位の茶谷健太内野手だ。2015年のホークスの新入団会見。3人の健太が話題となっていた。会見ではサプライズで当時6年目だった今宮健太内野手のビデオメッセージまで流れた。

「同じ健太。みんなで頑張りましょう。そして紛らわしいのでなにかニックネームをそれぞれキャンプインまでに考えておいてください」

 すでにホークスのレギュラーとなっていた今宮は画面の中で笑顔でそう語り、場を和ませた。「いつか4人の健太が試合に出る日が来れば」。記者会見ではそのような話題で盛り上がり、当時の地元スポーツ新聞には「健太で内野ジャックだ」と華やかに報道された。

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コーチもベタ褒め ホークス時代の“茶ゴジラ”

 それから月日は流れた。茶谷は18年限りでホークスの戦力構想から外れ、育成選手としてマリーンズ入り。二軍でアピールを重ね、19年オフに支配下登録を勝ち取ると20年には31試合に一軍出場。そして今年のシーズン終盤、主力勢の不振と怪我もあり、チャンスを掴むとショートストップのスタメンを任されることも多くなった。プロ7年目。入団会見では3人の健太の一人としてスポットライトが当たった若者は、紆余曲折を経てようやく一軍の舞台で躍動するようになっていた。

 茶ゴジラ。ホークス時代の17年の宮崎秋季キャンプでそう評され、打力に注目が集まった。特打でさく越えを連発した茶谷をベタ褒めしたのは達川光男ヘッドコーチ(当時)。当時、「将来は柳田よりすごいかも。2年目の鈴木誠也よりもいい」と絶賛のコメントが報道されている。背番号が「55」だったこともあり、茶ゴジラとニックネームをつられけるほど賞賛され、注目を集めた。

「あの時は本当に振れていて、自分でもビックリするぐらいさく越えの当たりを打つことが出来ていました」と茶谷は当時を振り返る。

「とにかく、なにをしてもエラーだった」

 山梨・帝京三高時代は投手。MAX145キロ右腕は投手で指名されたが、最初から野手でという方針の下、プロ野球人生がスタートした。

「最初から野手でという評価をいただいていた。指名を考えていた他の球団も同じ考えだったと聞かされたので、投手としての素質はなかったのだと思う。だから最初から自分でも切り替えて取り組みました」(茶谷)

 しかし、やはり高校3年間を投手として取り組んできた若者にとって、いきなりプロの世界で野手として結果を出すのには苦労した。最初はサード。その後にショート。守ればエラーをした。

「一番、戸惑ったのは打球の速さ。プロは打球が速い。とにかく、なにをしてもエラーだった。試合に出てはエラーばかり。正直、もうダメ、無理だと思ったことは何度もありました」と茶谷。

 思い出されるのは徹底的にノックを繰り返した日々。全体練習前、試合後。何球もボールを追った。「試合前とは思えないほどノックをしたこともあった」という思い出が残るほど、とにかくボールを捕る練習を繰り返し、少しずつ感覚を研ぎ澄ませていった。