初当選からわずか13年での内閣総理大臣就任、さらに日本最長の首相在任日数を記録するなど、安倍晋三氏の政治家としての“キャリア”は華々しいものであった。幼い頃から政財界の要人に囲まれることも当たり前という政治家一家に生まれた晋三氏は、いったいどのような幼少期を過ごし、エリート政治家としての道を歩むことになったのか。

 ここでは、1992年4月に刊行された『わたしの安倍晋太郎~岸信介の娘として』(発行・ネスコ、発売・文藝春秋)に、月刊文藝春秋(2016年6月号)に掲載されたインタビュー「晋三は『宿命の子』です」(聞き手・岩田明子NHK解説委員)を加え、新たに発売された『宿命 安倍晋三、安倍晋太郎、岸信介を語る』(文藝春秋)の一部を抜粋。母・洋子氏がインタビューで語った安倍晋三氏の幼少期の姿を紹介する。(全2回の1回目/続きを読む

※本文中の組織名・肩書きはインタビューを実施した2016年当時のものです

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安倍洋子氏 ©文藝春秋

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孫もわりあい政治好き

――安倍家は親族の仲が非常に良いですよね。長男の寛信さん(三菱商事パッケージング社長)一家、三男で岸家に養子に入られた岸信夫さん(衆院議員)一家など、よく一族で集まっています。

安倍洋子(以下、安倍) そうですね。年末年始やクリスマス、わたくしの誕生日など、ことあるごとに三兄弟の家族が集まります。中でも晋三は、自分のところに子どもがいないせいもあってか、皆で集まるのが好きで、一番忙しいのに一番積極的です。

――(リビングに飾られた写真を見て)洋子さんのお孫さんたちも写っていますね。晋三氏はよくご夫婦で、信夫さんの息子さんと一緒に食事に行ったりしているそうです。お孫さんは政治に関心があるように見えますか。

安倍 信夫の息子の信千世は、いまテレビ局で仕事をしておりますが、わりあい政治が好きなようです。選挙運動にも抵抗がなさそうですしね。

 ただ、誤解をされていることが多いのですが、子どもたちや孫たちに政治家を継ぐようにと話したことはありません。晋三の場合も、父親の姿を見ていたこともあり、身近に政治があったので、自然と興味を持つようになったようです。

安倍晋三氏 ©文藝春秋

東京で暮らす寛信と晋三は母や知り合いに預けて

――晋太郎氏が衆院選に初出馬して当選を果たしたのは、58年。晋三氏が4歳のときでした。

安倍 主人が代議士になってから、わたくしはほとんど地元の山口におりましたので、東京で暮らす寛信と晋三は母や知り合いに預けておりました。晋三はそういう生活に慣らされておりましたし、わたくしが不在がちにしていても、出掛ける理由をきちんと説明すれば納得する子どもでした。

 わたくしには寛信、晋三のほか、3人目の子の信夫がおりました。岸家を継いだ兄夫婦が子どもに恵まれず、3人目の子が男の子であれば、岸家に養子に出すことになっておりました。わたくしはなんとなく女の子のような気もしていたのですが、予感は当たりませんでした。岸家を継ぐことになるわけですから、名前も父から一字を取って「信夫」としたのです。晋三は弟ができたのを大変喜んでおりましたから、養子にやることが決まって寂しがっておりました。

 晋三が小学生のころは本田勝彦さん(日本たばこ産業顧問)や平沢勝栄さん(衆院議員)に家庭教師をお願いしておりました。小学校6年生の夏休みだったか、福島にあった平沢さんのご実家に、2、3日連れて行っていただいたりもしました。