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「能力と運が五分五分だ」

――晋三氏が06年に初めて総裁選に出馬した際、派閥領袖の森喜朗氏は「まだ早い。まず福田(康夫)君、それから安倍君だろう」と言っていました。一方の晋三氏は私の取材に「親父は岩に爪を立ててよじ登るような努力をして、幹事長まではなれたけれど、病気で次を狙うことができなかった。だから、チャンスが巡ってきたときには絶対に捕まえなければならない」と語ったことがあります。晋太郎氏が志半ばで亡くなったことが、晋三氏に影響を与えているのでしょうか。

安倍 それはあるでしょうね。主人はつねづね「政治家である以上、だれしも国家を背負う指導者になりたいと思うのは当然だが、それには能力と運が五分五分だ」と申しておりました。

 それは同時に、わたくしの父の言葉でもありました。父も総理になった後、「ツキがなければ総理にはなれない。俺は能力が半分、運が半分だ」と語っておりました。

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 その意味では、晋三がチャンスをつかむことができたのは、本当に幸運なことだったと思います。

2007年9月、健康問題で総理を辞任したときのこと

 それだけに、晋三が07年9月、健康問題を理由にわずか1年で総理の職を辞したときは、頂点から真っ逆さまに転げ落ちたような気持ちでした。いまとは違い、最初の総理在職中は、ほとんど公邸におりましたから、わたくしもそこまで体調が悪いとは知らなかったのです。

 晋三が辞任を表明したとき、わたくしはちょうどイタリアに行っておりました。現地で一報を聞き、突然のことで本当にびっくりいたしました。

安倍洋子氏 ©文藝春秋

 晋三は「潰瘍性大腸炎」という持病を抱えております。近年になって、本人によく効く薬が見つかったようですが、厚生労働省が特定疾患に指定している難病です。本人は高校に入るころ初めて発症したと申しておりますが、当時は医師も病名が分からなかったようです。アメリカの大学に留学したときにも症状がありましたが、このときは現地の食生活が良くなかったのかもしれません。神戸製鋼時代に1カ月、議員となって2回、3カ月と数週間ほど入院したこともありました。

 ですが、総理在職中に急激に体調を崩したのは、潰瘍性大腸炎とは別に、インドネシア、インド、マレーシアへの外遊でウイルス性の大腸炎に罹ってしまったためでした。体調が悪いのなら、どなたかに副総理のような形でいったん職務を代わっていただけば良いのではないか、辞任は少し様子を見てからでも遅くはないのではないかとも思いましたが、よほど本人が「これ以上は無理だ」と感じたのでしょう。

 辞任表明の翌日にイタリアから帰国したわたくしは、その足で晋三が入院していた慶応大学病院に向かいました。病室で晋三の悲壮な顔を見て、「大変だったわね」と声をかけることしかできませんでした。