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遠足のバスでは「安倍晋太郎をよろしくお願いします」と選挙運動の真似事を…政治家一家で生まれ育った“安倍晋三”の知られざる幼少期

『宿命 安倍晋三、安倍晋太郎、岸信介を語る』より #1

2022/09/22
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マイクに向かって「安倍晋太郎をよろしくお願いします」

 晋三は小さなころからわりあい政治に興味があったようです。晋三が9歳のときに主人は一度選挙に落選するのですが、浪人中のあるとき、晋三の小学校の遠足の後、父兄の方から「小さいながらも、お父様のことはやっぱり気になっているらしいのよ」と言われたことがあります。なんでもバスの中で、みんなが順番にマイクを持って歌っていたのですが、晋三は回ってきたマイクに向かって「安倍晋太郎をよろしくお願いします」と言ったのだそうです。

 同じころ、「ぼく、山口の学校に行こうかな。お友達ができるから、選挙のときにいいんでしょう」と言って、わたくしを驚かせたこともありました。

 学校は小学校から大学まで東京の成蹊でした。勉強のほうは、あくせくするほうではありませんで、のんびりとやっておりました。特に社会、歴史といった教科には興味があったようです。高校生のころ、「先生がこう言ったから、それは違うんじゃないかと反論した」と聞かされたこともありました。

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安倍晋三氏 ©文藝春秋

一度言い出したら周りの言うことを聞かない、頑固さが似ている

 主人が外務大臣に就任したとき、晋三に「会社を辞めて、すぐ俺の秘書になれ」とぶっきらぼうに言ったそうです。主人はもともと新聞記者だったのですが、新聞社を辞めて父の外相秘書官になりました。その経験が頭にあったのでしょう。突然のことでしたから、晋三は会社での仕事の後片付けが大変だったようですが(笑)。

 晋三が秘書官になってから、主人は外務大臣の他にも自民党の総務会長や幹事長を務めました。耳学問ではなく、外交や党務の現場を目の当たりにし、体験できたことは、後に自分が政治家になるにあたって役に立ったのではないかと思います。

 晋三が政治家になって、主人と似ていると感じるのは、一度言い出したらなかなか周りの言うことを聞かない、頑固なところです。それから、表面上は強く厳しいことを言っていても、裏では人のことを気遣うというのも、主人と似ていますね。晋三があるとき、古くからの支援者の方と衝突してしまったのですが、それでも何年か経つと、「あの人、あれからどうしてるかな。今度食事にでも誘おうかな」なんて言い出すのです。

 主人は病床で「俺も甘いところがあるけれど、晋三も俺に輪をかけたところがあるからな」と言っていました。当時、跡を継ぐというような具体的な話は出ていなかったようですが、当然主人は晋三を後継者として、気にかけていたのでしょう。

 いまから思えば、晋三は「政策は祖父似、政局は父似」ということになるでしょうか。