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「時代の変化が激しいのだから、教育も変わらなければ」と言われるが…社会を生き抜く子を育てるための7カ条

『子育ての「選択」大全』#1

note

 幼児期を過ぎても、一般的な教育を受けながらそれなりにご機嫌に社会生活を営んでいれば、これらの要素はそれぞれの子どもなりに十分に身につきます。

 幼児期は遊びを通して、その後は学校を含めた社会生活を通して、子どものなかにもともと備わっているコンストラクトの各要素がお互いに連携しながら結果的に全体として大きく育っていくのです。

 ただし、虐待を受けたり、貧困生活を強いられたり、過度に競争的な受験システムに過剰適応してしまったりすると、そのバランスが崩れてしまいます。

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 日本の教育は、理念的には「Education2030」を先取りしているくらいに立派なものですが、実際にはどうしても学歴信仰に基づいた受験勉強が重視されがちで、バランスが悪いのが欠点です。

 日本の教育はとかく批判の的にされますが、時代遅れになっているのは日本の教育全体ではなくて、その一部で行われている受験至上主義的教育観だということはここで押さえておきたいと思います。

 これ、VUCA時代の親に必要なリテラシーの2つめです。

教育の本質は変わらない

 Education2030のコンストラクトの各要素が、いわゆる「非認知能力」です。この言葉は前出のヘックマン博士がきっかけで日本で知られるようになり、一時期たいへんなブームになりました。「非認知能力ってどこで手に入るんですか?」と言わんばかりの情報が錯綜しました。ここでちょっと整理しておきましょう。

 ヘックマン博士らの研究グループは、恵まれない子どもたちの幼少期の生育環境を改善した追跡調査の結果を分析しました(子どもへの教育投資ができない環境を改善しただけであり、特別な英才教育をしたわけではありません)。

 幼児教育を受けたひととそうでないひとを比較すると、たしかにいちどは知能指数の差が生まれるものの、その差は成長にともなって消えることがわかりました。しかし、さらにそのあとの年収や生活の豊かさには有意な差が表れることもわかりました。

 そこから、知能指数では測定できない何らかの能力が長期的な影響を与えているのだろうと、ヘックマン博士らは推測したのです。

 そこであくまでも経済学者の立場から、ペーパーテストで測定できる学力のような能力を「認知能力」と呼び、測定できない何らかの能力を便宜上「非認知能力」と呼び、後者の重要性を主張しました。心理学用語の「認知」とは使われ方が異なることに注意してください。心理学で「子どもの認知能力」といえば、「子どもが何らかの対象物を知覚し、それに意味づけしたり解釈したりする能力」をさしますが、「非認知能力」は経済学の分野から生まれた言葉で、「研究者たちが認知できない能力」という意味で使われています。