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 やり抜く力にはレジリエンスの要素も含まれます。意固地になることとは違うのです。

 ヘックマン博士が言う「他人との協働に必要な社会的・感情的制御」の部分は、個人として発揮される能力ではなくて、人間関係のなかで発揮される能力だととらえられます。

 そのような能力を総称して「社会情動的スキル(ソーシャルスキル)」などと呼びます。

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 日本社会で俗に使われる「コミュ力(コミュニケーション能力)」という概念を核にしつつ、共感力や協調性を含んだイメージです。要するに社会の中でそれなりにうまくやっていくセンスのようなものです。

 そういう能力が高いひとが大きな組織の中で力を発揮することは、これまた容易に想像できますよね。

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 ただし、社会情動的スキルのようなものをたとえば学校で教えようとすると、現在のビジネスシーンで活躍しているマジョリティーのひとたちの作法をモデル化し、子どもたちに身につけさせようとすることになりかねません。言ってみれば、本来ひとそれぞれであるはずの人付き合いの作法について、マイノリティーの感覚をマジョリティーの感覚に合わせさせる操作です。そういうのを一般的に同調圧力というはずです。

 そういうことがまかり通ると、世の中がますます息苦しくなりますから、私は個人的に反対です。巨大な社会のネットワークの中に自分にとってしっくりくる居場所さえ見つかれば、それでいいんだと思っています。

 ここでこのように、これからの教育を語るうえでのキーワードをいくつも解説しているのは、これらの目新しく見えるキーワードも、実は私たちが昔から直感的に理解していたごく常識的な概念と何ら変わりがないことを知ってほしかったからです。

時代の変化が激しいとは言っても…

 いくら時代の変化が激しいからといって、人間の本質は変わっていません。だから約1200年前に書かれた『万葉集』を読んでも気持ちが通じるし、約2500年前に語られた『論語』の教訓を現代社会に生かすことだってできるのです。

 科学技術の進歩にともなって、たとえば戦争で使う兵器を扱うために必要な知識や技術は複雑になりましたが、戦争を起こしてしまう愚かさは、原始人時代に部族間闘争をしていたころから何も変わっていないんです。

 だったら教育の本質だって変わるはずがありません。新しいものがいいものだと思い込むと大切な何かを見落としてしまうはずです。

 これ、VUCA時代の親に必要なリテラシーの3つめです。