「意識があるうちに救急車を呼ばなきゃ」。ケータイ電話はすこし離れたテーブルに置いていた。焦って急に体を起こしたのが悪かった。そこで意識が途切れた。
気が付くと、ケータイ電話まで2歩、のところで倒れていた。最初は何が起こったのか理解できなかったが、ぼんやりとした意識の中で、「ああ、倒れたのか」と、状況を把握した。
「体が動かない。体から汗がぶわっと噴き出して…」
体が動かない。体から汗がぶわっと噴き出してきた。頭と肩が痛む。倒れたときにぶつけたのだろう。打ち所が悪かったらどうしよう。父親は数年前、転んで頭を打ち、脳挫傷で死にかけた。嫌な記憶も浮かび、再びパニックに陥った。早く救急車を――。
たった2歩の距離が、とてつもなく遠い。すこしずつ体の感覚が戻ってきたが、体を起こそうとすると、また意識が遠のく。ケータイはすぐ目の前にあるのに、届かない。泣きながらじりじりと這っていき、やっとたどり着いた。
もう大丈夫だ。救急車を呼べば、そのまま入院もできるだろう。この調子だと、夕方のPCR検査場には自力で向かえない。救急車で運ばれた方が、いろいろと楽できる。
そう考えたときに、救急搬送困難事案が増加しているというニュースを思い出し、躊躇してしまった。医療現場は今も逼迫しているらしい。まだ我慢してやり過ごした方がいいのかも――。
ぼーっとした意識の中で迷っている間に、感覚が戻り、体を起こして座ることができた。結局、119番することはせず、離れて暮らす家族に頼んで、薬局で医療用の抗原検査キットを買ってきてもらった。
高熱のなかで検査も「陰性」のナゼ
「医療用であれば、陽性者の登録申請をすることができる。保健師のいるホテルで療養しよう」
そう考えたが、なんと判定は陰性だった。
そういえば以前、療養を終えて職場復帰した職員が、「2回目の抗原検査で陽性が分かった」と話していた。家族に連絡をして、翌日もう一度、医療用抗原検査キットを購入して届けてもらった。
今度こそ、陽性だった。よかった、これで陽性者として県に把握してもらえる。陽性を確認したのは午前11時半頃。正午までに陽性者登録の申請をしなければ、受付が1日遅れてしまう。急いで電子申請を済ませた。
申請内容確認のための県からの電話は、その日のうちにかかってきた。一人暮らしで気絶し、救急車を呼べなかった不安を伝え、ホテル療養がしたいと説明したが、「この電話は申請内容の確認が目的なので、医師からの電話を待ってください。ホテル療養の判断は、医師がします」と告げられた。
解熱剤を飲んでも、38度を超えた状態が続いていた。呼吸も苦しい。胸が痛い。
最も頼りにしていた医師からの電話は、翌日の昼すぎだった。