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家族のカタチは家族の数だけ存在するもの

 たとえ家族でも、血縁があってもなくても、人は誰もが「違う国」の住人。そんな本作のメッセージは「家族だから言わなくても分かる」といった幻想を軽やかに打ち砕き、歩み寄りさえすれば誰とだって家族になれるという希望を与えてもくれます。

 そんな家族に対するクールでやわらかな眼差しは、『の、ような。』にも通底してあるもの。〈新しいお父さんとお母さん?〉と尋ねてくる春陽に対し、希夏帆は母親にはなれないが一緒にいようと語りかけます。家族とはカレーのようなもの。同じルーを使って同じように作っても、同じ味にはならない。だから同じ味を目指さなくても、新しい味をみんなで作っていけばいい。そう思えば、家族に対するハードルも下がり、ラクに向き合える気もするのです。

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 一転して『血の轍』は、血縁で結ばれた家族の物語。朝ごはんに肉まんとあんまん、どちらを食べるかという何気ないやりとりの中に匂わされる、息子を溺愛することで無意識に支配してきた歪な親子関係。その生々しいリアリティに我が身を振り返ってヒヤリ。

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「平穏な家族の日常」とは、案外こんな危うさの上に成り立っているもので、毒親云々でなくとも、家族とはちょっとしたボタンのかけ違いで美談にもホラーにも転じたりもします。

 結局、家族のカタチは家族の数だけ存在するもので、家族を息苦しく感じさせる原因は、ときに「家族とはこういうものだ」という自分自身の思い込みにあります。そういう意味でも、マンガを通して様々な家族を知ることは、呪縛を解き、自分にとって「ちょうどいい家族のカタチ」を見つける手助けにもなるのです。