『ガラスの仮面』の美内すずえさん、『天人唐草』『日出処の天子』の山岸凉子さんなど、レジェンドたちの若き日の姿や、名作が生まれた瞬間をユーモラスに描いた『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)が話題だ。32年ぶりに漫画出版をされた作者の笹生那実さんに、制作秘話や今の漫画業界について、メールインタビューで聞いた。(全2回の1回目。後編を読む)
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32年ぶりに復帰して感じたデジタル化の波
──70年代は「少女漫画黄金期」と呼ばれる時代です。『薔薇はシュラバで生まれる』では、その黄金期の作品を生み出した漫画家たちを、アシスタントをされていた笹生さんの目を通して描いています。「漫画家」として作品を描かれたのは32年ぶりだそうですが、一番苦労されたのはどんな点でしたか。
笹生那実(以下、笹生) デッサンがとれなくて時間がかかるとか、構図がなかなか浮かばないとか、要するに絵が描けない苦労です。残念ながら体は覚えててくれませんでした(笑)。絵は常に描いていないと、どんどん腕が落ちてしまいますね。
──漫画家を辞めたあと、まったく漫画は描かれていなかったのですか。
笹生 40代から同人誌活動を始めたのですが、同人誌といっても文字の隙間に簡単な絵を挟むだけで、漫画とは言えないレポートみたいな本が多かったんです。長ページの漫画を描くのは掛け値なしに32年ぶりでした。
でも、雑誌では読まなくなっていましたが、好きな作品はコミックスで買っていましたし、知ってる先生方や友達の作品でも、完全に読者目線で読んでいましたので「漫画」から離れていたわけではありません。
──現役時代と比べて、いちばん驚いたのはどんなことでしたか。
笹生 スクリーントーンの興亡を目撃しました。私が12歳だった頃は1枚120円。売ってる場所も少なかったので、大事に大事に使ってました。その後は、独占企業だったから値上がり方がえげつなくて、値段のピークは1枚1000円かな。そんなに高価なのに、当時はあまりいい柄がありませんでした。
それが、競合メーカーが生まれてから、いい柄がたくさん出てきて、しかもどんどん安くなり、一時100均でも売られてたとか。
そして今はデジタル時代で、もはや使う人も激減。買い置いた大量のトーンの処分に困ってる漫画家さんは多いみたいですね。私もそういう漫画家さんから少女漫画っぽい柄のトーンを送っていただいたり、夫から使わなくなったトーンをもらったりしました。