いろいろな想いが頭のなかを錯綜する。

 10月10日、阪神タイガースとのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第3戦。9回表、黄昏の横浜スタジアムの照明が落ち、大音響で山﨑康晃の入場曲『Kernkraft400』が響き渡った。スタンドで見守るファンの熱量が、ぶあっと上がるのがわかった。

 ハマスタ名物“ヤスアキジャンプ”。

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 しかし今はコロナ禍ゆえ、「ヤ・ス・ア・キ!」と声を出すこともできなければ、アクションを起こすこともできない。力一杯の手拍子と、声なき声、ムーブなきジャンプ。しかしファンの山﨑への想いが、かつてのようにハマスタをズンズンと振動させているように感じられた。

 場面は2対3のビハインド。セーブシチュエーションではなかったが、ファーストステージ敗退の瀬戸際、裏の反撃に一縷の望みを賭けた納得の采配だった。

 しかし「この場面でいいのか」と、複雑な想いも胸に去来する。その去就は現地点では不明だが、山﨑はかねてからメジャー挑戦への夢を口にしている。今オフ、その可能性がないわけではない。するとこれが最後の登板かもしれない……。

 そんな想いをよそに山﨑は泰然自若。代名詞であるツーシーム中心のピッチングで、2奪三振、無失点でマウンドを降りた。ただ淡々とひたすらに、デビュー当時から義務付けられた“抑えて当たり前”の自分の仕事をこなした。

 勝てばシーズンはつづくとばかり山﨑が作った流れにより、打線は1アウト満塁というサヨナラのチャンスを作ったが……あえなくダブルプレーにより敗退。ベイスターズの今季は終わった。

 山﨑は試合後、次のようなコメントを残している。

「1年間、守護神のポジションを守り続けたことができたし、チームの最後で投げる選手、人間として力不足な部分はありましたけど、自分自身少しは成長できたと思うシーズンでした。負けてしまったことは悔しいですけど、この結果を糧にしてさらに成長したいです」

 メジャー挑戦への言及はなかった。

山﨑康晃 ©時事通信社

ブルペンの雰囲気を良くしたのはルーキーの山﨑だった

 昨季リーグ最下位から2位となった今季のベイスターズを支えたのがブルペン陣の頑張りだろう。クローザーの山﨑を軸とし、セットアッパーのエドウィン・エスコバー、伊勢大夢、入江大生、脇を固めた平田真吾と田中健二朗、ブルックス・クリスキーらの踏ん張りがなければ、今季の結果は得られなかった。

 かねてよりベイスターズのブルペンは風通しがよく雰囲気がいいことで知られている。ブルペン担当の木塚敦志投手コーチを中心にリリーバーたちが年代の垣根を超え一丸となり、長年をかけ醸成されていったものである。

 このきっかけを作ったのが2015年に入団した山﨑だったと証言してくれたのは、2つ年上の三嶋一輝である。

「僕が個人的に思うのは、ヤス(山﨑)が1年目からクローザーになってからブルペンでチームを支えようって雰囲気が生まれたんです。ドラフトで入ってきたルーキーがバリバリ活躍していい流れを作ってくれた。実力もしかり人間的にも好かれる“ヤスのために”って思えたんですよね」

 ブルペンの先輩である三上朋也や須田幸太、加賀繁、長田秀一郎、田中らの尽力もあり、山﨑はルーキーイヤーに当時の新人記録だった37セーブを挙げ新人王を獲得した。

「クローザーをやるなんてイメージはまったくなかったんですけど、スーッと入っていけたんです。新人がいきなり抑えなんて考えられないけど、それを快く受け入れてくれた先輩方には感謝したいですよね」

 そう山﨑はしみじみと語った。思えば入団当初は先発での起用方針だったがオープン戦で結果を出すことができず、当時の中畑清監督の鶴の一声で決まったクローザー抜擢だった。出会いで人の運命は動く。考えてみれば山﨑は阪神との競合の末、ベイスターズに入団している。もし仮に阪神に入団していたら、その後の人生はどうなっていたのだろうか。

「それをたまに考えるんですけど、こればっかりはわからないですよね」

 山﨑は笑みを見せ語った。

「ただ思うのは、ベイスターズだからこそ与えられたポジションだったと思いますし、仲間がいたからいろいろな記録を達成することできたと思うんです。本当、出会いや環境に感謝したいですし、ベイスターズじゃなかったら今の僕はいないと思います。ハマスタで“ヤスアキジャンプ”が生まれることもなかったでしょうしね」

「僕の背中を見て声を掛けてくれるのが筒香さんでした」

 2年連続セーブ王や史上最年少で200セーブ達成など、記憶ばかりではなく記録にも残る投手となった山﨑であるが、その道のりは決して平坦なものではなかった。しかし、そこにはいつも多くの支えがあった。

 印象に残っているのは2年目の2016年、夏場になると山﨑はプロ入り初の大スランプに陥り、眠れなくなるぐらい精神的に追い込まれていた。8月5日の試合後のこと、山﨑は当時キャプテンだった筒香嘉智と一緒にタクシーでハマスタを離れた。その姿を報道陣に見られており、翌日そのことを尋ねられたが、山﨑は「まあ、それはいいじゃないですか」と口を濁した。

 あのときなにが起こっていたのだろうか。

「ああ、食事に行っていろんなことを話しましたよ。悩んでいた時期なので、僕も素直にどんどん話して……。筒香さんは『今自分に何が起こっているのか冷静に考えろ。おまえが自信を持って投げている姿を野手全員が見ている。背中を丸めず、相手に自分を大きく見せろ』と、おっしゃってくれて。自分がマウンドで味方や相手にどう見られているのかなんて考えてなかったんで、すごく印象的でした。そして筒香さんは『これは外に言うことじゃない。これはおまえの財産になって欲しいから言ってんだよ』と。本当に助かりましたし、僕の背中を見て声を掛けてくれるのが筒香さんでした」