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それは奇跡ではなく、倉本寿彦だ

「2017年5月からは9番という何とも難しい打順で淡々と得点圏打率.342と無類の勝負強さを発揮。翌2018年はセカンドに回る機会も多い中で『何があっても踏ん張り役割を果たす。セカンドはやって良かったと言えるポジションにする』と前を向き、試合中は変わらず『気付いたことがあれば伝える、声をかけずに後悔したくない』とピッチャーに寄り添い続けました」

 吉井も倉本の不屈の精神と気遣いに感嘆する。私がただ単に「クール」だと思っていたその表情の下には、こんな勝利への凄まじい執念があったのだ。

「横浜大洋時代、シブい守備固めだった日野善朗(1985~91年在籍)のために作られ、その後野手に転向したばかりの石井琢朗(背番号66)に流用された応援歌をいまなお聴くことができる。僕にとって倉本が打席に入るとブチ上がるのはまずそこ。本人が一番望んでいた、ベイスターズ時代の琢朗の応援歌を継承したいという思いは叶ってないんだけど、この応援歌は倉本にすごく似合っていると感じていた」

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 そう語るのはホエールズ時代からチームを愛するライターの黒田創。“かっとばせ 見せろ男意気 さあ打つぞ 勝利へ導け”。倉本の「男意気」は人々に「忘れられない一打」を与え続けた。

「3夜連続サヨナラ勝ちを決めた小フライイレギュラーヒットとか、代打ウィーランドからのサヨナラ打とか、おととしの満塁ホームランとか絶対忘れられない。決して超一流ではないし、たまにやらかしちゃうんだけど、ここ一番で最高の仕事をやってのけるが故に倉本は愛されてたんだなって。そういえば、井納もそんな感じだったよね……」

 野球は確率のスポーツである。積み上げられたデータは嘘をつかない。「打って」「抑えて」とファンが手のひらに爪が食い込むくらい祈ることと並列に、数字は常に冷静に現実を映し出す。奇跡は起こらない。でもやっぱり奇跡は起きる。いや、奇跡を起こす人がいると私は思う。倉本が「忘れられない一打」を私たちの記憶に刻むのは、倉本自身が不断の努力という「奇跡」を起こし続けているからではないか。誰もが不可能だと思ったことに、倉本だけはそう思わず、一歩一歩前に進み、いつしか奇跡を手にしていた。だからそれは奇跡ではなく、倉本寿彦だ。

©文藝春秋

「(倉本が)自著を書くならタイトルは『あきらめない』だそうです」と石塚はそっと教えてくれた。「自らの道は決意を持って切り開き、他の誰かが通る道は目を配り整える。倉本選手がファンに愛される理由がわかります」と吉井は頷く。そしてベイスターズが大好きなベイスターズおじさんは確信する。

「横須賀に行った人の話じゃ、いつもと同じように練習して、いつもと同じように手を振ってファンに応対しながら帰って行ったそうです。僕みたいなもんはもう滅入っちゃってやる気が何も起きないんですけどね。でも、当の本人は、こういう時でも、弱いところ一切見せずに、自分のやるべきことをちゃんとやってる。改めて尊敬します。ベイスターズがこれで最後になったとしても、本人は前しか向いていないはず。ましてや退団ごときで泣くようなタマじゃない。どんな状況になっても、黙々とバット振って道を切り拓いていきます。ぜったい」

 倉本寿彦は、希望の光。その希望の光はいつしか轍となり、ベイスターズラインにいつまでも在り続ける。

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