去る9月28日、札幌ドームで斎藤佑樹の写真展を見てきました。
いや判ってます、その日はまず何よりもファイターズのホーム最終戦だというのは。それもただの最終戦じゃない。札幌ドームが本拠地なのは今季限り。正真正銘、文字通りの最後の試合だった訳です。
なので球団も力を入れて、9月24日からの5連戦を《FINAL GAMES 2022》と銘打ち、ファン投票で選んだ名場面カードのプレゼントとか、いろいろ企画がありました。その1つ、関連イベントとしての写真展です。あくまでも《FINAL GAMES 2022》が主。
ただ、試合と最終戦セレモニーだけなら球場に行かずともテレビでも観られる訳ですね。しかし写真展の方はそうはいかない。希少価値で言ったらこっちです(断言)。
ベンチで、ダグアウトで、何を感じていたのか
彼の撮った写真を見るのは2度目になります。今年の春、「引退後の景色」と題された初個展に行きました。私はカメラは不案内で、写真の巧拙は判りませんし、撮影者への贔屓目も事実です。と自覚しつつも、よかったと素直に思えた作品群でした。少年野球の試合や、北海道内の風景。この子達は何て楽しそうなんだろう。この木も背景の夕闇の空も、何て美しいんだろう。
札幌ドームで写真展と最初に聞いた時は、この「引退後の景色」展をもう一度かと思ったのですが、《FINAL GAMES 2022》のための撮りおろし、被写体は札幌ドームとファイターズ。あのまっすぐな目の持ち主は、自身もその中にいた場所と人をどんな風に捉えたのでしょう。
展示場所は北ゲート側1階コンコース。最初の写真は試合中のグラウンド全景をスタンドから。ファンにはおなじみの、しかし元選手にとっては新鮮な眺めということになります。タイトルは「みんなのドーム」。次の写真は「監督室」。こちらは逆に、ファンの知らない場所。
なるほど、こう来るよね、彼の立ち位置からいっても。と、判ったつもりになったのでした。その時は。
ファイターズOBとしての立ち位置。スカウトやマネージャーやブルペンピッチャーのような「チームに残った人」ではなく、榎下陽大や谷口雄也のような球団の職員でもなく、スポーツ・コミュニティ・オフィサー(稲葉篤紀)とかスペシャルアドバイザー(田中賢介)とかプロフェッサー(栗山英樹)とかその人限定の新しい肩書が付いたのでもなく、「野球評論家」や「解説者」でもありません。でも新球場宣伝のYouTube動画やテレビCMなどにちょくちょく出演しています。ファイターズとファンとの間をつなぐ立場。
そう思いながら、3つ目の写真を見てみると。
《試合中にいつも栗山監督がいた席から、カメラを向けてみた。
この列のいちばん遠くに見える席が、だいたいその日の先発ピッチャーの座る場所。
僕もそこに座り、ときどき監督の視線を感じていた。
監督の目に映る僕は、ちゃんと立ち向かう人の顔をしていただろうか。》
選手達が坐るベンチの写真です。タイトルは「あの人の視線」。キャプションに、僕、という言葉が初めて出てきました。
ブルペンからグラウンドへの通路は、「声援が大きくなっていく道」。《この通路を抜ける瞬間が、僕はいちばん好きだった。今日こそはいいピッチングができる。いつだってそう信じていた。》と記されたその同じ通路が、逆にグラウンドからダグアウトへ向かう時には「日によって明るさが変わる道」となります。《いい投球ができればここがすごく明るく見えて、「よくやった」とドームのみんなに背中を叩かれるような感覚がした。打たれればこの暗い道がずっと続くんじゃないかとさえ思った。》
彼の現役11年間で、雑誌でもテレビでも一体いくつのインタビューを見聞きしてきたか、数えきれないほどです。でも、そのどれでもこんな言葉が語られたことはありませんでした。ベンチで、ダグアウトで、何を感じていたのかということは。