ずっと外に出さなかった「嫌な記憶」
稲葉篤紀と金子誠のツーショット。これは写真だけ見ると、まさしくファンのために撮影されたのだと思えます。選手時代からの御神酒徳利、監督栗山英樹をして「このチームはアツと誠のチーム」と言わしめた2人が、今はGMとコーチです。スーツ姿とユニフォーム姿で肩を組んだ笑顔は、しみじみとした感慨を呼び起こさずにはいない……のですが、この作品のキャプションはこうなのです。
《開幕投手を任された2012年、試合前日の僕を見て偉大な二人の先輩が言った。
「今から飲みに行け。明日は二日酔いで来い」と。それくらい気楽にやればいいと。
一気に緊張がほぐれた。味方であることが試合中も本当に心強かった。》
いわばファイターズを代表するような形でファンと思い出を分かち合いながら、彼だけの、個人的な記憶の鮮烈さ。私小説ならぬ「私写真」とでもいうような。
そんな彼の「私」の方へ、ぐっと傾いた1点がありました。「嫌な記憶」というタイトル。
《ドームではないが。僕の記憶から消えない、隣接する球団事務所の通路。
シーズン終了時の契約更改で、契約書にサインをした後はこの先の記者会見場へ。
俺なんか会見しなくていいよ、と歩きながら毎年思っていた。
人生で最も通るのが憂鬱だった通路、に認定したい。》
選手でいる間は一度もこぼさなかった弱音。想像を逞しくするならば、たぶん多くの取材者が、彼から引き出そうとしていただろう言葉。ずっと外に出さなかった心の声の一端を、思いがけず今になって彼はちらりと見せてくれました。
展示の最後は、これは2枚で1組だと思いたくなる写真でした。「ただひとつの場所」と題されたマウンドの写真。プレートの写真、と言った方が正確かもしれません。そして最後の「ありがとう」は、マウンドからホームベース、ベンチ、バックネット裏を見渡した光景。
ピッチャー斎藤佑樹、マウンドに立って。まず足元をならし、それから顔を上げて、視線はキャッチャーへ。
《けっして忘れない。ここで闘ったことを。ここで勝利をめざしたことを。
ここで嬉しかったことを、悔しかったことを、興奮したことを。
ここで感じた熱気を、味わった一体感を。ここで見た夢を。
ありがとう、心からありがとう、札幌ドーム。》
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