CSファーストステージで、ライオンズの2022年の戦いは幕を下ろした。日本シリーズでライオンズの試合を中継する目標は、叶わなかった。

 野球シーズン終了を前に、文化放送では改編があり、ナイターオフの期間に入った。少し内側の話をさせていただくと、日本シリーズの中継を残してはいるものの、文化放送スポーツ部的には軸足を野球から学生駅伝へと移しつつある。

 こうした区切りのたびに想うのは、松島茂アナウンサーのことだ。

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 秋の風を感じるようになった頃、報道スポーツセンターの壁にかかる松島さんの写真に、今年のライオンズナイターが終わったこと、そして駅伝シーズンが始まったことを報告した。

 今回、このタイミングで、松島茂アナのことを、そして少し前の話にはなるが松島アナに届けられたボールの話をさせてほしい。

いくつもの偶然が重なり、必然へ

 松島茂アナウンサー。文化放送リスナーにはおなじみだろう。ライオンズナイターや駅伝中継など、スポーツ実況の最前線で活躍した。私が文化放送でディレクターに就いた2018年当時はライオンズナイターのチーフも務めていたし、ライフワークのように駅伝中継に取り組まれていた姿も、いまだ記憶に新しい。

 ライオンズナイターでも、駅伝中継でも、その真ん中には必ず松島アナがいて、今考えればとんでもない量の仕事を抱えていたはずなのに、それでも楽しそうに「わっはっは」と笑う姿ばかりが思い出されるのは、松島アナが心配りの方だったからだろうか。

 松島さんの病状を聞いたのは、今から3年前のことだった。肺腺癌。懸命な闘病の末、2020年2月23日、この世を去った。

 奇しくもその日、海の向こうでメジャーリーガーとして第一歩を歩み始めた男がいる。秋山翔吾だ。

 そしてその日、私はたまたまシンシナティ・レッズがスプリングトレーニングを行うグッドイヤーにいた。秋山のメジャーでの実戦最初の試合を見て、最初のヒットのボールを預かり、告別式で松島さんのご家族にそのボールを渡すことができたのだが、それにはいくつもの偶然の重なりがあった。それをここに記してもよいだろうか。

 私の旅の記録は面白いものではないのだが、これでもかと重なる偶然に、今でも不思議な旅だったと思わずにはいられないのだ。