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非常に悔いの残った2003年だった

 1988年、東京ドームオープンからファイターズを愛し、高校帰りによく観に行った。友達への誘い文句は「今日、野茂が投げるよ」「イチローが出るよ」と相手チームの看板選手で釣った。

 後期は観客席もそこまで埋まらず、2階席は閉鎖されていて真っ青だった。マリーンズ戦ではマリーンズファンに三塁側内外野スタンドを真っ黒にジャックされることもあった。

 愛するファイターズが僕のそばから北の大地へと飛び立っていく。何とか現場で送り出してあげたい! 東京ドームラストゲームのチケットをゲットし、その日を心待ちにしていた。

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 だが直前にナレーションのオファーが入り、収録時間が完全に被ってしまう事態に。

 当時僕はまだまだナレーターとしては若手。スケジュール調整を申し出ることなんてできない。

 事務所の先輩ナレーターにチケットを譲り、代わりに見届けてもらったのだ。

 後にテレビのスポーツニュースで見たものの、到底満足できるものではなかった。テレビサイズで伝わることなんて高が知れている。

 非常に悔いの残った2003年だった。

日本ハム、東京ドーム最終戦セレモニー

 そんな後悔があったからこそ、なるべくライブで多くの瞬間を見届けたい思いが強くなった。

 今年はコロナ禍も多少落ち着き、そこそこ観に行けるようにはなったが、東京在住者としては北海道に何度も足を運ぶことは難しかった。

 今後も様々な環境の変化はあるだろうが「少しでも時間があればライブ観戦」の信念は変わらないだろう。

 19年間、札幌ドームでの数々の記憶を残し、いよいよ来シーズンはエスコンフィールドへ。

 BIGBOSS改め新庄ファイターズのエスコン1年目。誰がチームの顔となり、エスコン世代をどのように作り上げていくのだろうか。

 これからも喜怒哀楽、様々なことを積み重ねながら、愛するファイターズの果てしないストーリーは続いていくのだ。

 来年の今頃は……CSで、日本シリーズで、ファイターズの躍動をこの目で見たい!

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