劇作家の宮沢章夫さんが亡くなったのだ。僕はぜんぜん知らなくて遊園地再生事業団(一応、劇団名なんだと思う)のツイートで衝撃を受けた。

「かねてより入院療養中だった宮沢章夫が、9月12日、うっ血性心不全のため都内の病院で永眠いたしました。65歳でした。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます」(以下略。9月20日17時、遊園地再生事業団公式アカウント)

 スマホを手に持ったまま、しばらく固まった。身じろぎもできない。今、この原稿のために念のため「身じろぎ」の意味を調べたが、「体のどこかをなんとなく動かすこと」だそうだ。そんな休憩時間みたいなことはできない。だから、合っている。衝撃すぎて感情も動かなかった。ただ「え…」と言ったまま、何もする気がしないし、何もできなかった。停止。全部ストップ。

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 これはもうどうにもならないのだった。

 2012年、エディターの川勝正幸さんが亡くなったときはNHKのお昼のニュースで見て、現実のこととは思えず、知人の渡辺祐さんのところに電話した。「今、ニュース見たけど、本当のことなの?」「うん…、残念ながら本当です。詳しいことは僕もわからないけど、マンションの川勝さんの部屋から出火したみたいなんだよね…」。あのとき、タスクさんの肉声や息づかいがなかったら、川勝さんが亡くなったことをおなかに落とせなかった。

 今回はおなかに落とすも何もない。決着がついている。

 もう、宮沢さんはいないのだ。

 僕はもうずいぶん長いこと宮沢さんと会ってない。最後にお会いしたのは2014年、Zepp東京のボブ・ディラン公演の最前列立ち見エリアで、ボブ・ディランが上手から登場したもののそのまま下手へはけた(歓声を受け、ナーバスになったようだった)のを真後ろの人が大笑いしていて、振り返ったら宮沢さんだった。ボブ・ディランがそんなコントのようなことをやって、みんな「あれ、帰っちゃった?」となったのがすんごい面白かったのだ。あの雑踏のなかで同じものを見て、まぁ僕も大笑いしていたんだけど、「あれ、宮沢さん?」「あれ、えのきど君」となったのが楽しかったな。

 1時間くらいリビングのソファで固まっていて、そのうちにNHK BS1でソフトバンク25回戦が始まった。札幌ドームで上沢直之が投げている。何となくミュートにして画面だけ映してたんだけど、読者よ、僕はがらんどうだった。生涯でこんなに入って来ない日本ハムの試合は初めてだ。テレビを消してもよかったのだが、猛烈に悲しくなりそうでつけたままにしておいた。ソフトバンクの先発は石川柊太。

9月20日のソフトバンク戦に先発した上沢直之

『わからなくなってきました』の原型になった僕とのやりとり

 宮沢さんといえば『わからなくなってきました』(新潮文庫)だ。以下、引用する。

 もちろん、どんな世界にも紋切り型の言葉はある。こういうケースにはこういう言葉を使う。誰も疑問に思わないまま、あたりまえのこととして口にし、気にもしないで聞き流す。たとえば野球の中継だ。デッドボールが発生したとき、必ずといっていいほど、「当てられたほうも痛いですが、当てたほうも痛いですねえ」とアナウンサーや解説者が口にするのは、かなりよく知られた話だ。最近、私が気になっているのは、やはりスポーツ中継のなかで使われる言葉である。ある局面に遭遇すると、アナウンサーはまず間違いなくこんなふうに言うのだった。

「わからなくなってきました」

 この言葉がどうも気になって仕方がない。なにしろ、「わからなくなる」のだ。いったい誰が「わからなくなる」のか。どうやら、中継をしているアナウンサーのようだ。それまでは大丈夫だったらしいが、不意に彼は、「わからなくなる」。そんなふうに言われても、聞いている私たちのほうこそ、いよいよ、わからなくなるではないか。

 たとえば野球だ。9回の裏まで8対0で負けていたチームが、最終回になって突然、反撃を開始する。点差は3点まで縮まったものの、すでに2アウト。ところが、いまバッターがフォアボールで出塁し、満塁になった。打順は3番。きょうはすでに、2安打している。長打が出れば一気に同点。ことによると、逆転サヨナラも可能である。その時、アナウンサーは興奮気味に言うのだ。

「わからなくなってきました」

(「わからなくなってきました」より)

 たぶんカン違いじゃないと思うけど、この原型になった話は僕とのやりとりだ。最初に会ったのは(正確なことがわからないが)80年代の半ば、川勝正幸さんが引き合わせてくれた。当時の宮沢さんは劇作家というより、放送作家の色合いが濃かった時期だ。僕は新進のフリーライター、20代、生意気ざかり。自分より面白いヤツはいないくらいに思っていた。宮沢さんは作家チームで入っていた『元気が出るテレビ』(『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』)の話をしてくれたと思う。

「テリー(伊藤)さんに何かないかと言われて、『あり得ない避難訓練』っていうのを出したんだよ。体長5センチの象が3千頭逃げたという想定で職場の避難訓練をする。みんな踏みつぶさないように慎重に逃げる」

 あ、これは面白い人だと思って、僕も手持ちの面白い話を5、6発ぶつけてみた。と宮沢さんが8発くらい返してくる。柔道でいったら乱取り稽古だ。お互い、人の話をろくに聞いてない。もちろん爆笑はするんだけど、相手が話している間、次に何言ってやろうかと考えている。そのときに僕は井上陽水さんにインタビューした話をしたのだ。陽水さんは秀逸なセンス・オブ・ユーモアの持ち主だ。

「例えばピッチャーが桑田(真澄)で、バッター掛布(雅之)としましょうか。7回、バースがヒットで出て、4番掛布がデッドボールだったとしましょう。次は岡田の打順。そのとき、実況のアナウンサーは『当たった掛布も痛いけど、当てた桑田も痛いですね』って言うね。フレーズに自信持ってるね」(うろ覚え、陽水さんのコメント大意)

 陽水さんは「フレーズに自信持ってるね」の「フレーズ」のところをハイトーンで歌うように言った。(そんな大したことないのに)フレーズに自信を持つことの面白さを語った。できたら自分も「リンゴ売り」がどうしただとかゴニョゴニョ言って、最後に「当たった掛布も痛いけど、当てた桑田も痛いんですねぇ」みたいなことを言って、歌を仕上げたいそうだった。

※余談だが、後に陽水さんの『最後のニュース』という曲を聴いて、あぁ、「当たった掛布も痛いけど」の部分が「今、あなたにGood‐Night」なのかなと思った。

 その話を宮沢さんにぶつけたら、秒で「勝負は下駄を履くまでわかりませんね」が返ってきた。いや、下駄は僕が言ったのかなぁ。野球選手、下駄は履いてないというのだ。なぜそんなことをアナウンサーは言うか。僕たちは憤慨していた。物事が終わって、帰り支度をするまでわからないというなら、野球選手は試合が終わったらスパイクを脱いで、下駄に履き替えるのか。球場の外でカラーンコローンカランカランコロン、鬼太郎か。おかしいだろうということになった。