その記録は達成されて当然のものと思っていた。信じるとか願うとかそんな種類のものではなく、なんだか当たり前のことのように思っていた。だから、今シーズン、宮西尚生投手の調子がなかなか上がらなく登板する試合の数がなかなか増えなくても、最後には帳尻が合うものだとぼんやり思っていた。でもその記録は途絶えた。8月30日の試合成立の瞬間は、この先きっと忘れられないだろう。
15年連続の50試合登板、これは中日ドラゴンズに在籍した岩瀬仁紀投手の持つ記録。1年目から中継ぎで起用された宮西投手はこの記録に王手をかけていた。実はルーキーイヤー、本来だと宮西投手の登板は49試合で終わる予定だった。新人の宮西投手が1軍で使い続けられたのは当時の厚澤和幸コーチの意向が大きかった。その厚澤コーチが「今後の為に50試合投げておこう」と勝ち負けのつかない試合に最後に送り込んだという。そこから始まった記録。厚澤さんは宮西投手が恩師として名前をあげる人物のひとりだ。
兵庫県尼崎市出身、関西学院大学から2007年の大学生・社会人ドラフト3巡目で入団。ルーキーイヤーから1軍で投げ続けるタフな姿、年を重ねるごとに増す存在感、マスコミへの対応力、そのどこを切り取っても宮西投手はいつだって大きく見える。関西弁で豪快に話してくれる様子も相まって、私の頭の中には強気の宮西投手が常にいる。だから、去年、50試合はクリアしたものの、不振に悩む姿はファンの目にもつらく、オフを経て新たな気持ちでキャンプに取り組む姿に復活を期待した。今季はもっと楽に50試合を投げてほしい。
全員が横一線 BIGBOSSはぶれなかった
新しい指揮官、新庄BIGBOSSはシーズン前に全員が横一線だと強調した。ベテランも若手も関係ない、いい選手を使っていく、全員でトライアウト。ファンにとっては宮西投手は1軍にいて当たり前の存在だ。多少調子が悪くても、1軍で調整をするし、不振なんかからはすぐに抜け出してくれる強い投手。投手、野手関わらず慕う選手は多く、チーム内では選手のメンタルの面でもなくてはならない存在。だから私は、宮西投手に関してはBIGBOSSの「横一線」という言葉を当てはめていなかった。15年連続50試合登板という記録に王手をかけていることもあった。
でもBIGBOSSはぶれなかった。「みんなが挑戦する年なんで、誰であろうが関係ない」。調子の上がらない宮西投手は6月1日、1軍登録抹消。一時戻ってきたものの、8月10日にはまた抹消、その時点で24試合登板。シーズンはどんどん進んでいく、試合はどんどん消化されていく。残り試合が少なくなってくると、私は心の声が漏れださないか心配するほどもやもやしていた。
優勝争いをしていて毎試合ヒリヒリするような戦いならば、今シーズンの宮西投手を無理に登板させるのは難しいかもしれない。だけどダントツの最下位というこの状況なら、負け試合でもいいから宮西投手の試合数を稼ぐことは出来ないのか。あと26試合投げれば記録は繋がるのだから。もうこんなチャンスは恐らく来ないのだから。宝物だというファンにどうか記録達成を見せてくれないだろうか……
……と、さんざん心の中で大騒ぎをしてから気づく。そうやって達成する記録は本人は嬉しいだろうか、私達は気分よく拍手を送ることが出来るのだろうか。そもそもこんなことを思うのは宮西投手にとても失礼なことなんじゃないだろうか。ファンとして随分と横道に逸れてしまっている。