1ページ目から読む
2/4ページ目

 僕が銅線を盗んで逮捕された時には、当たり前のことだが、姉の芸能生活に多大な迷惑をかけた。彼女は所属するプロダクションを辞めなければならなかった。

姉の後藤真希さん(写真:getty)

 あんなことはもう二度と、するわけにはいかない。だからこの時に限らず、何か新しいことをやろうとする時には、姉には逐一相談するようにしている。

 結局、ABEMAに返事するまで1週間くらいかかったと思う。

ADVERTISEMENT

 やっぱり、やってみたいという思いが強かった。いいチャンスであることは間違いないと思ったのだ。

 まあ相談したら姉の反応は、「危ないから、やめとけばあ?」ではあったけれど。

「参加したい」とABEMAに伝えると、「9月にオーディションがあるので受けに来てください」と告げられた。

オーディション合格

 言われたとおり、オーディションの会場に行ってみると、30人くらいが来ていた。さすがにみな、それなりに腕っぷしに自信のありそうな連中ばかりだった。

 オーディションでは司会の人から面接を受けたり、シャドーボクシングみたいな動きをさせられたりした。「格闘技の経験はありますか」と聞かれたり、過去のケンカ自慢、いわゆる「武勇伝」を語らされた。まあケンカはそれなりにやっていたので、そのことを語るだけだった。

 だが周りには、武勇伝を誇張して語るような連中も多い。自分の強さをことさらにアピールする。出場を望むのだから、それが普通だろう。

 でも僕は、そういうのは苦手だった。芸能界に一時いたくせに、そもそも子供の頃から人前に出たり、目立ったりするのは嫌いだったのだ。

 だから心の中では、こりゃムリだろうなという気持ちがあった。

 オーディションは僕が行った日を含め、3日間くらいやったと聞く。僕の行った日だけで30人なのだから、全部で100人近くが参加したことになる。そんな中であまり自分を吹かすこともなく、PRにも積極的でない人間は落とされるしかなかろうと思えたのだ。選ばれるのはこの中から、たったの4人なのだから。

 格闘技の経験についても、子供の頃にボクシングを習ったくらいしかなかった。同級生に誘われて、近所のボクシングジムに通った。小学4年から、芸能界入りする中1の冬まで。その頃は楽しくてしかたがなく、ほぼ毎日通った。一日、2時間。

 ただ、子供なのでスパーリングのようなことはさせてもらえず、シャドーボクシングをやったり、サンドバッグを叩いたり、コーチを相手にミット打ちをやったり。後は筋トレや縄跳びとか、そういった程度だ。

 だからケンカを除いて、試合で本気で殴り合うなんてことはこの時までなかった。その初体験の相手が朝倉未来さんなのだから、考えてみれば無謀もいいところだ。

 ただ、経験はないが格闘技を見るのは昔から好きだった。好きだった選手は亡くなった山本KID徳郁。格闘スタイルが好きで、試合は欠かさず見ていた。

 そんな程度だったので半ば諦めていた。

 だから10月、「合格です」と連絡がきた時は意外だった。僕のどこが気に入られて合格したのかは、これまた知らない。聞いていない。ただ「試合は11月です」と告げられただけだった。