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「イチローさんに会ったときもそう感じた」

 高校最後の1年は、新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)された。春も夏も甲子園大会は開催されなかった。3年生で聖地に立てたのは、8月に開催された交流試合の1試合のみ。救援投手として3イニングしか経験できなかった。

 本来であれば、甲子園でフル回転してスカウト陣の評価を上げることになっていたかもしれなかった舞台だ。コロナ禍の不運を嘆いてもおかしくはないだろう。そんな状況でも、どこまでも謙虚だった。「みんなで試合できたことが何よりもうれしかった。普通ならあり得ないことだから」。智弁和歌山は交流試合に登録した選手20人中17人が出場。小林にとっても、個人の評価より一人でも多くの仲間と聖地に立つことの方が大切だった。

 中学生のときからそうだった。中学進学時には地元のクラブチームではなく、中学校の軟式野球部でプレーすることを選んだ。その理由は「小学校のときの仲間と一緒に野球をしたかったから」。誰よりも速い球を投げられることを誇るでもなく、切磋琢磨してきたチームメートとともに勝利を目指すことが純粋に楽しかったのだ。

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「謙虚でいる」との決意が間違いではなかったと確信した出来事がある。高3の12月、あのイチローさんが智弁和歌山を訪れて指導する機会に恵まれた。レジェントがどこまでも真摯に野球と向き合う姿を目の当たりにして思った。「一流の選手であればあるほどに謙虚。イチローさんに会ったときもそう感じた」。自分が大切にしてきた考え方をこれからも貫こうと決めて広島に入団した。

 辞書で「謙虚」と引くと「ひかえめですなおなこと。謙遜」とある。日本中から注目されるプロ野球選手が、控えめで居続けることは簡単ではないかもしれない。ただし、広島には見本になる投手が多くいる。選手会長の大瀬良は、誰よりも謙虚に野球に取り組む姿勢で同僚から慕われ、抑えの栗林は、謙虚を座右の銘とし、グラブに刺しゅうまで入れている。

 小林はコンディション不良などで長引く今季の2軍生活にも謙虚に練習に励んでいることだろう。高卒3年目の来季、非凡な才能が本格的に花開いたとしても、きっとその謙虚さは変わらない。

河合洋介(スポーツニッポン)

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