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「これはえらいことになった…」衣笠祥雄さんも恥ずかしがった”赤”はなぜカープの色になったのか

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/09/23

 突然ですが皆さん。皆さんの「好きな色」は何色ですか? 私は「赤」。迷うことなく「赤」。その理由はただひとつ。私がカープファンだからです。

 そう書かれて驚く人、あるいは「へえ~」と思う人より、おそらく「俺もだよ」あるいは「私だって」。もしくは「なに当たり前のことを書いているんだお前は」。そう思っている人の方が多いんじゃないでしょうか? その理由は、またしてもただひとつ。あなたもまた、カープファンだからです。

衣笠さんは「赤が恥ずかしかった」

 いまでこそ「カープ=赤」というのは常識中の常識になっていますが、その起源はいまから約50年前にまでさかのぼります。1974年に一軍打撃コーチとしてカープに入団し、翌年の1975年、日本球界初のメジャーリーグ出身監督としてチームの指揮をとることになったジョー・ルーツさん。彼が「燃える闘志を前面に表す」という狙いで、それまで紺色だった帽子とヘルメットの色を赤に変えました。

 しかし、当時のプロ野球界は現在のように各球団にチームカラーがあるという時代ではなく、多くの球団が黒、白、紺。そこまで大きく差別化されていなかった。ゆえに、それまでのプロ野球界に無かった赤を取り入れたカープは極めて奇抜だったのです。そんな中で有名なのが、カープのレジェンド・衣笠さんのエピソード。当時を振り返り、衣笠祥雄さんはこのように語っています。

「初めて見たときには、これはえらいことになった……と思いましたよ(笑)。僕らの世代では、赤い帽子というのは小学校の運動会でかぶるくらいで、ことに野球をやる人間は帽子といえば黒か紺、白くらい。赤というのは、男が身につける色じゃないと思っていました」

 そう。衣笠さんは「赤が恥ずかしかった」のです。試合では被らざるを得ないけど、それでもやはり違和感があり、練習の時は前年までの紺色の帽子やヘルメットを被り、かたくなに抵抗感を表していたという話はオールドファンの間では有名。しかし。そんな衣笠さんのように「赤への抵抗」が隠せない選手がいた中、1975年のオールスターで、それまでの流れが一気に変わります。

衣笠祥雄 ©文藝春秋

もしあの時、ルーツ監督が赤を取り入れなかったら?

 7月19日、甲子園での初戦。山本浩二さんと衣笠さんが2打席連続でアベックアーチを放ち、大下剛史さんは盗塁を決め、外木場義郎さんが好投。セ・リーグが8対0で圧勝し、翌日のスポーツ新聞に「赤ヘル軍団現る!」という大見出しが踊ったのです。衣笠さんの言う黒、紺、白。そんなカラーが大半を占める中で赤いヘルメットと帽子を被ったカープの選手が大活躍した。そう、赤に抵抗があったのは選手側だけで、マスコミや野球ファンの目線では、新鮮かつインパクトが大きかったのです。そして「赤ヘル」という言葉は野球ファンに広く認知され、この年、カープは球団創設26年目にして悲願の初優勝。赤という色と優勝という栄冠が、見事なまでに融合した年になりました。

 私はふと考えることがあります。もし、もしあの時、ルーツ監督が赤を取り入れなかったら? カープがルーツさんを監督にしなかったら? カープは、いまどんな色のチームになっているのでしょう。紺色のまま? それとも? 考えるだけで違和感があるし、本当に赤で良かったと心から思います。たとえば野村謙二郎元監督。現役時代に「真っ赤に染まったスタンドを見てみたい」と言い、旧広島市民球場で2000安打を達成した試合では、入場時に「2000Hits」と書かれたボードが配られ、球場が真っ赤に染まりました。カープが初めてCSに進出した2013年は、あの甲子園球場のレフトスタンドが真っ赤に染まり、それがスポーツ新聞以外の一般紙でも取り上げられるほど話題になりました。

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