緑を湛えた芝生に、選手たちが姿を現す。お互いに挨拶や言葉を交わしながら一日がスタートする。そこから、各自が体を動かし始める。ウォーミングアップの光景である。
二軍内野守備・走塁コーチの玉木朋孝は、一人の選手の動きが気になった。
「彼は、全体から少し離れて、一人で黙々と動いていました。人と喋ることもなく、自分のやるべきことをやっているのです。私は、『自覚が出てきたな』と捉えました」
2年目のシーズンを戦っている矢野雅哉である。読者のイメージは違うかもしれない。パンチパーマのスタイルで、チームの円陣でも剽軽な空気を醸し出す。その姿は、テレビや新聞でも随分とクローズアップされた。
それも、矢野である。
一方で、妥協のないハードワークで人生を切り拓いてきたのも矢野である。
今回は、後者の物語だ。身長171センチは、決して大柄ではない。しかし、矢野には、大きな武器があった。「肩」と「努力」と「覚悟」である。
「リアリスト」ぶりを徹底した大学時代
「明日死ぬかのように生きよ」
ボーイズリーグのとき、指導者から言われた言葉である。なかなかに「パンチ」が効いているが、彼は、その言葉を大事に野球に向き合ってきた。
「大学時代は、夕食後に21時くらいまで(自主)練習していました。最も長い練習ですか? 午前4時までやったことがあります。正直、コンディションのことを考えれば良くないかもしれませんけどね」
全国屈指の強豪である亜細亜大学において、打線の中でも、「リアリスト」ぶりを徹底した。
「自分はあまり打てるバッターではなかったので、クリーンアップにいかにつなぐかを考えていました。球数を投げさせる。四球で出塁する。バントの構えで投手を揺さぶる。相手の嫌がることに集中していました。強く振って、遠くに飛ばそう。あんまり、そんなことは考えたことがありませんでした」
中学・高校はホームラン、なし。大学では1本塁打。この数字も、勲章である。