超一流と、それ以外を分けるものは何か。「言葉」を持っているかどうか、だ。
「わが巨人軍は永久に不滅です」(長嶋茂雄)
「チョー気持ちいい」(北島康介)
「報われない努力だったかもしれないけど、一生懸命頑張りました」(羽生結弦)
国民的ヒーローと呼ばれる人々は必ず、わずかな文字数にその人の人生を結晶させたかのような、忘れがたい言葉を持っている。
プロレスラーは、特にそうだ。
「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」(長州力)
「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」(小川直也)
「プロレスラーは本当は強いんです」(桜庭和志)
プロレスの歴史は、プロレスラー達が綴ってきた言葉の歴史でもある。この点においても、アントニオ猪木は突出した存在だった。
「言葉の力」を駆使したプロレスラー、アントニオ猪木
「元気があれば何でもできる」
「1、2、3、ダァーッ!」
猪木やプロレスに詳しくなくても、猪木の言葉を知らない人はほとんどいないだろう。若い人にとっては、「バラエティ番組でよく見かける、おもしろい決め台詞のおじさん」というイメージが強いかもしれない。
しかし、猪木の言語感覚の鋭さは今にはじまった話ではない。「言葉の力」で自らのキャリアを伝説にまで昇華したのが、アントニオ猪木というプロレスラーなのだ。
力道山にスカウトされた2年後の1962年、猪木はテレビドラマ『チャンピオン太』に「死神酋長(しにがみしゅうちょう)」という、現代では口にすることすら憚られるキャラクターとして出演。
力道山は死神酋長を気に入り、猪木のリングネームを死神酋長にしようとしたが、必死に頼んでやめてもらったというエピソードもある。笑い話に思えてしまうが、当時の猪木にとって、力道山に逆らうというのは命がけの行為だったはずだ。キャリアのごく初期から、猪木が言葉選びに意識的だったことがうかがえるエピソード……と、思えなくもない。
そしてプロレスラーとして全盛期を迎えた猪木は、今でも語り継がれる、数々の名言を残すことになる。