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 この詩には自己啓発、若干の宗教っぽさ、ポジティブさ、精神主義など、日本の大衆に愛されるものがすべて詰まっている。一休宗純のものと誤解されている事実も含めて胡散臭いが、普通に良いことを言っている印象も受ける(藤波辰爾が新日本プロレスの社長だった時期、社長室に相田みつをの「道」と並んで額装されていたらしい。いい話だ)。

 しかし、どれだけ大衆性を得ても、プロレスラーらしい狂気を忘れないところが、猪木の猪木たる所以だ。

「道」が紹介されている『猪木寛至自伝』では、拳銃密輸疑惑に対して「素手で人を殺せるから拳銃は必要ない」という、ストロングスタイルな反論をしていたりもする。

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 また、週刊誌に浮気の写真を撮られた際は「俺が今でも悔しいと思うのは、そのときなぜピースサインができなかったのかだ」という名言を残した。「世間をお騒がせして申し訳ありませんでした」という定型文しか発信できないちっぽけな芸能人は、猪木に学ぶべきだろう。

最後に勝つ負け方を知っておけ

 現在、猪木の公式YouTubeチャンネル「アントニオ猪木『最後の闘魂』」では、「最期の言葉」と題された動画が公開されている。

(画像:YouTubeチャンネルより)

 そこでの猪木は、目にしたことを後悔するほどに、衰弱しきっている。パジャマ姿でモゴモゴと喋る姿は、プロレスラーでも政治家でも実業家でもない、ひとりの「老人」だ。YouTubeは残酷である。隅々までフォーカスが効いた映像と安っぽい打ち文字に、幻想が入り込む余地はない。そこにあるのは、ただの現実だ。

 あまりに痛々しい。こんな姿を晒してほしくなかった。私を含め、そう感じた人は少なくないだろう。

 しかし、思い出してほしい。猪木が敗北をドラマに仕立てるのは、これが初めてではない。

 1983年6月2日、第1回IWGP決勝リーグ戦の優勝戦、アントニオ猪木vsハルク・ホーガン。ここで猪木はホーガンのアックスボンバーでKOされた挙句、舌を出して失神するという屈辱的な敗北を喫している。並のレスラーだったらキャリアが終わっているだろう。

 しかし、ここからドラマをスタートさせてしまうのが、アントニオ猪木だ。優勝が確実視された中での敗北は、翌年の第2回IWGPにつながるアングルとなった。

「舌出し失神」は「本当に失神したら舌なんて出さない」「窒息を恐れたセコンドが指を入れて舌を出した」など、今でも論争が続いている。この試合が語られる時、主人公は優勝したホーガンではなく、敗者である猪木だ。

 そう。猪木の死も、また新しいドラマの始まりなのだ。