長期入院説や重病説が囁かれていた読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が「文藝春秋」のインタビューに応じた。いまも胸にあるのは生涯一記者の誇りだ。
〈僕は大正15年生まれ、今年で96歳になった。できるだけ仕事は控えているが、今も週に何度かは会社に出勤している。中曽根(康弘)さんが101歳で亡くなったことを考えると、自分もせめて100歳までは生きよう、なんて考えるね。
この歳になるまで「生涯一記者」だと思ってやってきた。岸田総理まで過去、何人もの総理大臣と付き合ってきたし、幾度となく政治の重大な場面に立ち会ってきたのも事実だ。政治家に深く食い込んだがために「癒着だ」なんて見当ちがいな批判を浴びたこともあった。だが、自分の気持ちの中では、あくまでも一記者に過ぎないと常に分を弁えてきたつもりだ。今も社の「主筆」であることを誇りにしている。
政治家はみんながみんな立派なわけじゃない。総理大臣の中にも不道徳な人もいれば、頭の回転が遅い人もいたよ。新聞記者は決して尊敬できない人が相手でも、尊敬しているかのように振舞って取材しなくてはいけない場面もある。それがこの職業のつらいところであり、記者という商売の悪い側面とも言えるな。いったい、今の若い記者たちは、そのあたりのことをどう考えているのか気になるね。
現場に出ていないから分からないが、最近はどこか折り目正しく、小さくまとまっている記者が増えたんじゃないか。僕らの時代の新聞記者はみんなもっと泥臭くて粗っぽかった。義理も人情もない、とにかく特ダネを抜きたい一心。かく言う僕もそういう考えだったね。仲間のことなんか関係なくて、あちこちに一人で潜り込んで取材に行ったものだよ。
ニュースソースには困らなかったな。努力をしていれば人は見てくれているもの。万が一、取材対象者が相手にしてくれなければ、知恵を絞って別のルートから情報を取る。一記者に過ぎなくても、努力を惜しまなければ大概のことができた。それが当時からの実感だ〉