事実は小説より奇なり--。

 この言葉を地で行くのが、坪内知佳さん。

 とれたての魚や野菜を半日以内に加工・箱詰めして直接全国の消費者へ届ける。そんな事業を営む「船団丸」を11年前、24歳の時に立ち上げ、全国展開するブランドにまで拡大させてきた。

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 その過程でどん底を覗きつつも、前進し続けた道のりは何ともドラマチック。この10月には、坪内さんをモデルとしたテレビドラマ「ファーストペンギン!」(日本テレビ系)が放映と相成るほどだ。

 波瀾万丈の半生と、たゆまぬ歩みを支えてきた思考法を、本人の言葉で明らかにしてもらおう。(全2回の1回目/2回目に続く)

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「魚がとれなくなってる。どうにかしたいが、わからんのよ」

「私の歩いてきた道なんてそれほど特別なものじゃないし、多分に流されてきた部分だってありますよ」

 と開口一番に本人は言うけれど、生半可な生き方の人間が、連ドラ主人公のモデルとなるわけもない。まずは坪内知佳さんの半生のあらましを並べてみると、こうなる。

©畑谷友幸

 福井県で事業を営む一家に生まれ育った坪内知佳さんは、長じるにつれ空に憧れCAを目指すようになり、名古屋外国語大学へと進学。在学中に学生結婚し、相手の仕事の都合で山口県へ移り住むも、ほどなく離婚する。

 慣れぬ土地でシングルマザーとなった坪内さんは、翻訳から旅館の仲居までできることは何でもして、男児を育てるのに奮闘する。

 そんな折り、ひとつの出会いがあった。宴席に来ていた萩大島の漁師・長岡に社交辞令で名刺を渡したところ、後日連絡が入ったのだ。都会から来てパソコンも使える、頭のよさそうな若者を他に知らないから、ぜひ相談にのってほしいという。

「魚がとれなくなってる。どうにかしたいが、どうしたらいいかわからんのよ」

 という内容だった。このままでは小さい島の漁港はジリ貧だとのこと。調べてみると、漁獲量の極端な減少は、日本の漁業全体が抱える大問題であることもわかった。

©畑谷友幸

スーツにピンヒールで漁師のもとへ。気合十分! ところが…

 これはつまり、漁業の未来をつくる仕事を、手伝ってほしいということか……。坪内さんは依頼をそう解釈し、意気に感じてプランを練った。

 そうして坪内さんが打ち出したのは、生産者が加工から流通まで手がける「6次産業化」と呼ばれる手法への挑戦。とったばかりの魚を漁師が船上でシメて、丁寧に箱詰めし、漁港から独自ルートで消費現場へ届けようというのだ。