様々な逆風を乗り越えて24歳で漁師たちを束ねる立場となった坪内さん。山口県萩大島から日本の漁業を大きく変える可能性を秘めたビジネスに挑戦するきっかけのひとつに、自身が抱えてきたある悩みがあったという。(全2回の2回目/1回目を読む)
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「SDGs」「サステイナブル」という言葉がない時代から
幼少時から化学物質過敏症だった
移り住んだ山口県で、坪内知佳さんは「船団丸」事業に邁進してきたのだが、思えばのめり込んだのが漁業だったというのは不思議だ。生まれ育った福井にも海はあるものの、身近に漁業関係者がいたわけでもない。
萩大島の漁師との出会いに導かれたといえばそれまでだが、坪内さんの側にも漁業に対して「これぞ」と想いを注ぐ理由はあった。
それは、自分の身体のコンディションに関わること。
坪内 私は小さいころから極端な化学物質過敏症で、食べるものや暮らし方にけっこう苦労してきたんです。タバコの煙なんかはもちろんのこと、洗濯洗剤の匂いでも息苦しくなってしまう。添加剤の含まれた食材も口に含めば気分が悪くなる。
最近でこそようやく「SDGs」「サステイナブル」といった言葉が浸透して、地球環境に配慮した暮らし方を意識する人も増えましたけど、以前は化学物質が苦手などと言えば「神経質で厄介な人だな」との扱いを受けるばかり。それであまり口に出すことができなかった。
声を上げないだけで、私と同じ悩みを抱える人はこれまでにもいたはずだし、いまもたくさんいると思います。そうした困っている人たちにとって、「あそこの食べものなら確実に安心だ」と信じられる先があることは、大きな支えになります。「船団丸」はそういう存在でありたいし、私がこの事業に妥協なく注力したいと熱を込めるのは、ここに大きな理由があります。
うちが扱っているものは、鮮魚も加工品も化学物質とは無縁なので、私のように過敏な人も問題なく食べられると明言できますよ。