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『アダムス・ファミリー』知られざる“100年の物語”〈ぶっ飛んだ伝説のシーン、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のあの人…〉

2022/10/07
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やがて時は流れた20世紀末、ある企画が立ち上がる

 本作の大成功を受け、1973年にはテレビアニメ版が製作されるなど、様々な企画が続き長寿コンテンツの道を歩み始める。

 やがて時は流れ、1989年頃、最初のドラマシリーズに親しんだ子供時代を送ったスタッフ陣により、ハリウッドで本シリーズの決定版となる初の実写映画版を作ろうという企画が立ち上がった。それが実現したのが1991年の『アダムス・ファミリー』だ。

 監督として最初に製作陣が指名したのは、当時気鋭の若手として熱い注目を浴びていたティム・バートン(1958年生)だったことは有名である。バートンも当然『アダムス・ファミリー』のファンであり、そのポップなゴシック趣味から大きな影響を受けたひとり。ただ『バットマン リターンズ』(1992年)の準備中だったため、オファーを断らざるを得なかった。

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 続いての監督候補はテリー・ギリアム、ジョー・ダンテ、デヴィッド・リンチ……など、いずれも納得の力量と世界観を持つ錚々たる面々。だが結局起用されたのは、撮影監督出身で、まだ監督業は手掛けたことのない新人のバリー・ソネンフェルド(1953年生)だった。

 監督は未経験とはいえ、バリー・ソネンフェルドは学生時代からの盟友コーエン兄弟の監督作『ブラッド・シンプル』(1984年)や『赤ちゃん泥棒』(1987年)などで撮影を務め、映像センスには定評のあった才人。

 プロデューサーのスコット・ルーディンは、彼のヴィジュアリストとしての感性と技術を高く買っていた。その起用が慧眼であったことは、監督デビュー作『アダムス・ファミリー』の出来映えが端的に示すことになり、以降のソネンフェルドは『メン・イン・ブラック』(1997年)など人気監督として活躍することになる。