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《地名を公開する男を直撃》部落解放同盟を執拗に敵視する「鳥取ループ」裁判 “憎悪の原点”とは?

《地名を公開する男を直撃》部落解放同盟を執拗に敵視する「鳥取ループ」裁判 “憎悪の原点”とは?

2022/10/18
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 ジャーナリスト・西岡研介氏による「部落解放同盟の研究 最終回」の一部を掲載します(「文藝春秋」2022年11月号より)。

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いまだに結婚の際の身元調査に肯定的な意見が4~6割

「今すぐ、部落の地名リストをネット上から削除しろ」

「お断わりする」

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 2016年3月8日午後1時半、東京・新宿の喫茶店。初対面にもかかわらず、二人の間には、最初から剣呑な空気が漂っていた。

 部落解放同盟のトップ、西島藤彦中央執行委員長(69 当時は中央本部書記長)と、「鳥取ループ」こと宮部龍彦(43)である。

中央執行委員長の西島藤彦氏

「君がネットで公開している地名リストが部落差別に悪用されるのは間違いない。部落には、我々のように、差別のない社会を目指し、自ら出自を明らかにして活動している者もいれば、ひた隠しにして生きている人たちもいる。自分がやっている行為が差別を助長し、その人たちの平穏な生活を脅かすということが、なぜ分からないのか」

 自治体などの意識調査では、いまだに結婚の際の身元調査に肯定的な意見が4~6割を占める。探偵や興信所による身元調査の9割は、結婚相手から部落住民や部落にルーツを持つ人たちを排除するのが目的だ。こうした背景から、西島は宮部の説得を試みたのだ。

約2時間に及んだ会談は決裂

 だが、宮部の態度は頑なだった。

「あなたの主張は『寝た子を起こすな論』を持つ部落住民に配慮せよということだが、そんな住民は解放同盟に入っていないので、あなたにそれを代弁する資格はない」

「寝た子を起こすな論」とは、部落差別がある現実を指摘し、それを解消しようという取り組みに反対し、「そっとしておけばそのうち差別は無くなる」という考え方だ。

 宮部は反論を続けた。

「どこが部落かを隠すことこそが差別の原因であり、助長している。隠すのなら、その理由を、部落に住もうとしている人や、部落の人と結婚しようとしている人に説明するべきだ。逆に、どこが部落かを明らかにすれば、そんな説明をする必要が無く、『部落に住んでも、部落の人と結婚しても安心ですよ』と堂々と言うことができるではないか」

 結局、両者の主張はその後も平行線をたどり、約2時間に及んだ会談は決裂。西島の訴えが宮部に届くことはなかった――。

 宮部がネット上に公開した「地名リスト」は、「全国部落調査」をもとに宮部自身が作成したものだった。「全国部落調査」は、1935年に内務省が被差別部落の実態を調査し、翌年にまとめた報告書。全国約5300の被差別部落の地名や戸数などが記載されていた。1975年にその存在が発覚し、結婚差別や就職差別に利用されていたことから大きな社会問題となった「部落地名総鑑」の原典といわれている。

「解放同盟は当事者ではない」

 宮部は2015年ごろ、都内の大学図書館で、この「全国部落調査」を入手。16年2月には、自らが主宰する出版社のホームページで同書の復刻版を書籍化し、4月に販売すると告知していた。

 冒頭の会談で西島は、宮部に対し、この復刻版の出版中止も求めた。この「部落地名総鑑事件の再来」ともいえる事態への危機感が、西島を宮部への直接抗議に向かわせたわけだが、語気を強める西島に対し、宮部はこう応じたという。

「『全国部落調査』の出版は差別ではなく、差別を助長するとも考えていない。そもそも解放同盟は一政治団体に過ぎず、当事者ではない。そのような約束はできないし、仮にここで約束しても、必ず破る」

 西島は、宮部に抱いた当時の印象をこう振り返る。

「宮部本人に対する抗議については、中央本部内で『行くべきではない』という意見もあった。だが、私はこの50年、たとえ相手がどんな考えをもった人間でも、正面からぶち当たっていくことで、(解放運動を)切り拓いてきた。また、『同じ人間なんやから、腹を割って話せば分かる』という思いもあった。けれども、彼(宮部)には、こちらが何を言っても、通じるものが無かった」

「鳥取ループ」こと宮部氏

「あんな人間は初めて」

 京都府南部の被差別部落に生まれ育った西島の解放運動歴は、じつに半世紀に及ぶ。高校時代から解放運動に身を投じ、1970年代当時、劣悪極まりない状況に置かれていた地元の住環境の改善に取り組んだ。30代で地方公務員の職を辞し、部落解放同盟の専従となり、京都府連書記長などを経て、1994年には中央本部の執行委員に就任。2012年に京都府連委員長となり、中央本部の書記長を兼務した後、今年6月に中央本部の委員長に就任した。

「彼には、部落に対する差別意識がいまだに残る社会や、それゆえに出自を隠して生きざるを得ない、出自を暴かれることに怯える部落民がいる現実が見えていない。いくら指摘しても居直り、決して自らの非を認めようとしない。あんな人間に会ったのは正直、初めてだった」(同前)