生き残り、発展する衛星都市の未来
それでも現在の衛星都市が、すべて新しい立ち位置に立つことは難しいだろう。インフラが整い、多くの我が街を愛する人たちによって支えられ、新たな価値を創出していく都市がある一方で、街に住む誰からも評価されず、もっと居心地のよい街を求めて出ていかれてしまう都市とで今後は激しく二極化していくだろう。
ポイントとなるのはこれまでの成功の方程式、ものさしが通用しなくなるということだ。都心部までの時間距離だとか、乗り換えのしやすさだとか、駅までのアクセスの良さだとかの優先順位は相対的に下がるだろう。いっぽうで、家族やカップルが朝な夕なにどこででも集まれる場がある、カップルや家族、同じ趣味を持つもの同士、同じ町内の知り合い同士が気楽に立ち寄れるような飲食店がある、公共施設や医療機関などの社会的インフラが整っている、大地震や台風などの災害に強い体制が構築されている、高度な情報通信網が整備され、生活を支える金融やサービス機能が整っているなどが選択肢として重要視されてくるだろう。
こうした新しい社会インフラを備え、毎日生活するのに愉しさ、豊かさを感じることができる衛星都市が出現し、この街を愛し、一度出て行っても再び戻ってくる人々によって支えられる「ふるさと」になる、これが生き残り発展する衛星都市の未来だ。
「東京並み」の地方都市はイマイチ
地方都市の未来はどうなるだろうか。結論からいえば、かなり多くの街が衰退というストリームから逃れることができない。人口の高齢化と少子化はすでに何十年も前から叫ばれ、自治体消滅、地方の危機と呼ばれ続けたが、結局国も多くの自治体もこの課題に対しての明確な処方箋を描くことができなかった。
東京と同じように便利さを求め、東京と同じブランドのお店を並べ、「東京並み」の生活を追い求めてきた多くの地方都市に、結局人々が愛着を抱くことはない。東京に似せて作った街ならば、本家本元の東京に行くほうがはるかに豊かで快適な生活を送れるからだ。
だが、多くの人々にとって東京が本当に憧れ、自らの欲望や願いを実現できる街であったのか、地方から東京に出てきた多くの人々が理想と現実の狭間に思い悩み、不安定な仕事と、恐ろしく高い生活コストに心折れてしまう姿も目立つようになった。今さらながら地方に舞い戻っても、満足な仕事はない、若者の数は少なく、結婚しようにも相手の選択肢も狭い。出戻りは地元から後ろ指をさされる。
では日本の地方都市に未来はないのだろうか。地方人に限らず、今や東京っ子ですら、東京での生活に疲れ始めている。正規社員、年功序列で終身雇用が約束されてきたこれまでの時代と異なり、世帯平均年収は95年をピークに大幅にダウンしてしまった。
そして今深刻なのが生活コストのさらなる高騰だ。いっぽうで通勤を前提としない働き方が市民権を持つようになれば、何もただでさえ生活していくのが苦しい東京に拘る必要はなくなる。地方都市に対する見直しが行われる理由がここにある。