戦後77年が経過しようとしている。この間、東京には地方から仕事を求めて絶えず大量の人が流入してきた。戦争が始まる直前、1939年(昭和14年)頃の東京の人口は約700万人程度だった。現在は約1400万人弱。東京の人口は約80年の時を経て、倍増した。
そうした意味では、東京はその多くが地方から流入してきた「よそ者」で形成されてきた街である。ニューヨークが「人種のるつぼ」と呼ばれたが、東京はいわば「地方人のるつぼ」ともいえる。
東京にマイホームを持った第一世代、ルーツで地方と結びついた第二世代
さて、戦後から高度経済成長期、東京にやってきた第一世代は遮二無二働き続け、日本経済の成長に貢献した。彼らは生まれ故郷に戻ることなく、東京圏にマイホームを持った。家を持つことは、東京に拠点を構えること。彼らの多くは「故郷は遠きにありて思うもの」となり、住民票あるいは本籍地を移し、東京人という生き方を選択した。
この両親のもとに生まれ、おもに東京の郊外で育ったのが第二世代。この世代は夏休みや冬休みになると両親に連れられて、親の故郷である地方の祖父母の家ですごした。地方には親の兄弟姉妹や親戚が集まり、にぎやかなひとときを経験したのもこの世代だ。この世代にとっては東京と地方の結びつきは家のルーツによって感じられるものだった。
三代続いた江戸っ子
そしてこの第二世代から生まれたのが第三世代である。生年でいえば1980年代生まれあたりを指す。ミレニアル世代(1980年から89年生まれ)の中軸であり、社会人としても脂がのって会社の中でもバリバリ働き、子供を持って一番消費を活発に行う世代だ。
彼らにとっての祖父母は東京人第一世代。そして第一世代の親は既にこの世になく、地方の実家は手仕舞いしているところが増えている。彼らにとって家族のルーツともいえる地方との関わりはほとんど感じられないはずだ。つまり、第三世代は東京の価値観だけで暮らしてきたことになる。「三世代続けば江戸っ子」と言われるが、まさにこの第三世代こそが、「東京っ子」「生まれながらの東京人」になるのである。東京は「地方人のるつぼ」から脱し、「東京人のための東京」に変質しているのだ。