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連載大正事件史

「10年以上も同棲している女があるにもかかわらず、恋愛関係に入るとは…」大正の『スター』をめぐる四角関係と“金の切れ目”

「10年以上も同棲している女があるにもかかわらず、恋愛関係に入るとは…」大正の『スター』をめぐる四角関係と“金の切れ目”

湘南のリゾート名門旅館での「惨劇」#2

2022/10/16

 周りに味方はほとんどいなくなり、2人は孤立を深めていく。大杉は傷の経過もよく、11月21日に退院、帰京した。「日録・大杉栄伝」によれば、18日には退院できるはずだったが、逗子か葉山にしばらく滞在しようと貸間を探したものの、借り手が大杉と分かって全て断られたという。

 事件についての評論記事が新聞や雑誌に現れ始めた。最も熱心だったのは、当時は文化的な色彩が濃かった読売。早くも初報と同じ11月10日付朝刊の「よみうり婦人附録」のページに、リベラルな教育者として知られていた宮田修・成女高等女学校(現成女高校)校長の「自由戀愛の破綻」という文章を載せている。

 市子について「理性で認める自由恋愛説も、恋愛という感情に打ち勝つことができなかったところに、今度の事件が起こり、自由恋愛の破綻ができたので、神近さんの行為は決して新しいものではなく、新しい衣を着ただけの女の所業で、むしろ旧式な行き方である」と述べた。

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 12日付朝刊には、「青鞜」のメンバーだった作家、生田花世の「新らしい女はか(こ)う見る 大杉事件の批判」を掲載。「自由恋愛は恋愛の本性にもとるもの」としたうえで、市子が妻ある男性に愛を求めたこと、大杉と野枝の関係を知った時に去らなかったこと、さらに大杉を刺したことを批判。「要するに、あの人々はいずれも自分に対しても周囲に対しても無責任であった」と言い切った。これが「青鞜」グループの大勢の受け止め方だったのだろう。

 11月15日付朝刊「よみうり婦人附録」には、「市子さんと野枝さん」という記事が。無署名だが、筆者は女性記者か。宮島資夫の妻の話を基に市子サイドからの事件の見方を示した。12月5日付朝刊からは2日連続で「所謂(いわゆる)自由恋愛説」を社説で取り上げた。「自由恋愛」を1つの主義と認めたうえで、天然の情理や社会の規則などの観点からその主義には欠陥があると指摘した。

事件は社説でも論じられた(読売)

「市子さんがあのようなことをなさったのは極めて自然であろうと思うので、市子さんに対しては同情に堪えませんし、また大杉にも気の毒に思う」

 こうした読売の報道に対し、東朝も年が明けた1917年1月21日付朝刊から「戀の破産=神近市子事件」を5回にわたって連載。大杉と市子と野枝の「恋愛史を訪ねてみたい」と経緯を詳述。事件について野枝が「市子さんがあのようなことをなさったのは極めて自然であろうと思うので、市子さんに対しては同情に堪えませんし、また大杉にも気の毒に思う」と言っていると書いた。

東京朝日も連載記事を載せた

 こうして3人は一躍「時の人」に。それは獄中の市子についての報道からもうかがえる。11月12日付東朝朝刊はベタ(1段見出し)ながら、市子が宮島資夫の差し入れた弁当をきれいに平らげたうえ、知人の牧師が差し入れたバナナを食べたと伝えた。

市子がバナナを食べたこともニュースになった(東京朝日)

 同じ東朝の12月16日付朝刊には「當込(当て込み)芝居叱らる」が見出しのおかしな記事が。

「(東京・)有楽座では17日から、帝劇専属女優劇師走興行を開演のこととなり、既に衣装、大道具などもすっかり出来上がって、いざとなった間際に突然、第三喜劇の小坪内作『猫の戀』に対し、警視庁から注意を受けて狼狽し、作者・士行氏ほか数名は15日、同庁に出頭。丸山保安部長に面会し、筋(ストーリー)の改訂をするのでと嘆願に及んだ。警視庁は『別に筋がどうこうとは言わぬ。何しろ大杉栄と神近の際物を当て込んで、主人公に扮する男が盛んに平等主義の熱を上げるあたりを改めさえすれば文句なし』とのことでやっと安心した。同じ筋のを『小春日和』と改め、危険な熱を全部削って上場のこととなった」

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