「小坪内」とは坪内逍遥のおいで劇作家・演劇評論家の坪内士行のこと。事件の“人気”が高かったことが想像できる。
はじまった裁判、傍聴人が朝から押し寄せ…
殺人未遂罪に問われた市子の公判は1917年2月19日午前、横浜地裁で始まった。各紙の扱いはばらつきがあるが、19日発行20日付報知夕刊には法廷の模様がこうある。
「被害者が社会主義者といい、加害者が問題の新しい女というので、傍聴者は午前8時ころよりゾロゾロと押しかけ、9時には既に立すいの地がないまでに満員札止めとなる。傍聴者は大半、庇(ひさ)し髪、銀杏(いちょう)返し、丸髷の婦人で、その中には、男女2人の西洋人の顔も交じっている。これらの中には、社会主義者取り締まりとみえて高等視察刑事3~4名がジロリジロリ、傍聴人の低声の談話に耳を立てている」
審理の内容は、20日付東日朝刊記事の中心部分を新保勘解人・裁判長と被告の一問一答にして見よう。
裁判長 大杉とはいつごろから知り合いになったか
市子 一昨年の春ごろでしたと記憶しますが、フランス語を研究するためでした
裁判長 大杉が社会主義者であることは承知していたか
市子 承知していました
裁判長 被告もやはり社会主義者か
市子 世の中の苦しんでいる者に同情していますが、政治上、経済上から見たところの社会主義は一切存じません。また、私の関するところではありません
「私は大杉が好きでした。ほかの女の人が大杉を愛するのも無理はないと思いました」
尋問は大杉との関係に入っていく。
裁判長 大杉と恋愛関係になった時期と動機は
市子 一昨年の暮れからでしたが、その関係を引き起こすのに別に特別な事情はありません。当時、私の誤解かもしれませんが、大杉は私に確かに愛を持っていました
裁判長 しかし、何か恋愛に入る動機があるだろう
市子 私どもは似通った教育を持っていましたし、また、大杉が日頃説くところの主義が一致したからでもありますが、第一、私は大杉が好きでした。大杉は話が上手で、聞いているうちに自然に引き入れられてしまいます。ほかの女の人が大杉を愛するのも無理はないと思いました
裁判長 大杉の言うところには少しも疑いを持たなかったのか
市子 教育のない普通の人ならいざ知らず、よく事柄を理解した人の言うことですから、少しも疑問などはなく、全く信じていました