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連載昭和事件史

《ふすまは一面の血しぶき》一家4人の頭を薪割りで…中華料理店で起こった惨殺事件

――劇場型犯罪の“草分け”!? 「八宝亭事件」 #1

2021/02/14

 話題になった事件で疑惑の渦中にある人物がメディアに登場して事件について情報を発信。それをめぐってメディアがまた騒ぐ――。そうした例は近年も時々ある。それも「劇場型犯罪」と呼んでいいだろう。

 ちょうど70年前、東京のど真ん中で起きた「八宝亭事件」はその草分けともいえる。当時は“怪事件”と呼ばれ、戦争直後多発した「アプレ犯罪」の1つとされた。ただ、ほかの事件と異なるのは、容疑者の男が取り調べ中に自殺したため、犯行の動機や具体的な方法は未解明で、彼が本当に犯人だったという物的な証拠もないことだ。

 この年、前年に起きた朝鮮戦争の特需で国内の景気が上向きになるのと同時に、サンフランシスコ平和条約が調印されて占領から独立への道筋がはっきりした。戦後の混乱が収まりつつあり、時代が少しずつ変化する中、世情はどこか浮ついていた。

 この事件も、終わってみれば単純な犯罪だが、警察の捜査の不手際やメディアの過熱・偏向報道など、どこか軽佻浮薄で地に足が着いていない感じがする。その意味でも現代に通じるといえるのかもしれない(今回も「差別語」「不快用語」が登場する)。

事件の第一報(夕刊朝日)

◆ ◆ ◆ 

まき割りで頭部をめった打ち

築地中華料理店の惨劇 一家四人枕をならべ 薪(まき)割りで殺さる

 22日朝9時20分ごろ、中央区築地2ノ8、中華料理店「八宝亭」こと岩本一郎さん(42)方の住込みコック山口常雄さん(25)が築地署に駆け込み、同店主人一郎さんはじめ妻キミさん(40)、長男元君(11)、長女紀子さん(10)の4人が階下4畳半で就寝中、薪割りで頭部その他をめった打ちに惨殺されていると届け出た。同暑では直ちに警視庁に連絡。捜査一課から浦島課長らが現場に急行。捜査に乗り出したが、鑑識の結果、犯行に使われた凶器は同家の物で、現場に捨ててあり、店内はかなり物色されており、犯行時間は午前2時から3時の間と推定されるが、発見者のコック山口さんは何も知らないと言い、また前日雇い入れたばかりの女中が行方をくらましている。

 犯行当夜、同店に泊まっていたのは、住み込みの山口さんのほか女中が一人いた。このほか、もう一人のコック李さんは横浜から通勤。この女中は10日ばかり前、同店の店先に出した募集広告を見て前日の21日、住み込んだばかりで、惨劇の今朝来行方が分からず、捜査当局では最も有力な関係者としてその行方を捜査している。この女中は25、6歳。洋装、パーマで、荷物も持たず雇ってくれと現れ、そのまま雇い入れられたもので、姓名も素性もまだ一切分からない。

 1951年2月22日付「夕刊読売」は事件発生をこう報じた。

目立つ“飛ばし”記事

 当時は用紙不足による新聞統制の時代。夕刊は戦争末期の1944年3月以降休止していたが、朝日、毎日、読売は統制外である再生紙の「仙花紙」を使って1949年秋以降、独立した夕刊新聞を発行していた。その際、朝日、毎日は戦前と同じく翌日の日付けをとったが、読売は現在と同様、同じ日付で朝刊の後に夕刊という形に変更した。

「夕刊朝日新聞」「夕刊毎日新聞」の事件の一報は2月23日付夕刊になっている。

「親子四人を惨殺」が主見出しの夕刊朝日は、問題の「女中」は「凶行の間の隣の3畳に泊まり、夜中に男が訪ねてきた様子があると山口君は言っているが……」と記述。