リラックスした表情の写真が添えられた記事を要約すれば――。
事件前日の21日午後3時半ごろ、築地河岸まで肉の買い出しに行って帰ってみると、新しい女中が来たところで、電話の下でダンナさんと話をしていました。ダンナさんが住所を聞くと、女は「埼玉の大宮です。そこで堅気(かたぎ)の家に女中奉公をしていました」と言い、ヤブニラミ気味の特徴のある目をジッと見据えるようにしていました。そこへ奥さんが顔を出し、「どうしてここに働こうと思ったの?」と聞くと「お嫁に行くまでいくらか金をためたい」と言い、また「移動証明書は、当分お宅にいられるようだったら、その時持ってきます」「寝具など身の回り品は、大宮から一緒に出てきた友達のオバさんが浅草にいるので、そこに預けてある」とも言ってました。
女は「今度こちらで働くことになりましたから、どうぞよろしくお願いします」と言ったので「こちらこそ」と答えました。私が女の素性について知っているのはこれだけです。
女は客もあきれるくらい不愛想な、別に怪しいそぶりもなく普通に働いていましたが、ただ、お客が飲み食いした後は必ず店内を掃き、ゴミを裏まで捨てに行ったので「いちいち裏まで行かなくていい」と言いましたが、それから寝るまでに3、4回は裏木戸から外に出たようです。
「男は日本人離れしていた」
山口は「午後11時50分ごろ店を閉めた」と言い、閉店後のことをこう述べている。
女は3畳の女中部屋でダンナさんが売上金を計算しているのを見ていました。22日の午前1時少し前に、寝ようと思って階段を上りかけると、ちょうどその女も3畳の押し入れから布団を出していました。
どこからか電話がかかり、女がすぐ立って受話器を取り上げる気配がして「ハイ、ハイ」と2回答えた声が聞こえましたが、すぐ電話は切ってしまったようです。1時半ごろ、便所に行くため階段を下りかけると、下の方から声を殺したような男女の話し声が聞こえました。オヤ、いまどき誰が来ているのだろうと3畳の女中部屋をのぞくと、いつの間に来たのか、女の敷いた布団の上に、男が膝を抱えた姿勢で壁の方を向いて座っていました。そのとき二人は「浅草」とか言っていたと思います。男の服装はネズミ色オーバー、ギャバジン(あや織物の一種)の白っぽいズボン、ノーネクタイだった。26、7歳。ガッシリした体格で顔は青黒、頬骨が高く、頭の髪の前の方はパーマネントで縮らし、どうも日本人離れがして三国人のように思われました。また2階に上がろうとすると、女がこちらを向いて「親戚の者ですが、今夜は泊めてもらいますから」と言いました。住み込み女中が男を引き入れることはいままでも大目に見られてきたことだし、奥さんも既に承知のことと思って「奥さんのお許しがあればいいでしょう」と答えて、2階に行って寝てしまいました。それっきり女中と連れの怪しい男は見ていないのですが、あのときもう少し警戒心を持っていたら、ダンナさん一家もあんな無残な死に方はしなかったのにと残念です。
「三国人」も死語の差別語だが、「敗戦後の一時期、在日朝鮮人・同中国人を指して言った語」(「新明解国語辞典」)。山口の話はのちに全てでっち上げと分かる。
どの社にもサービスしていたのだろう。山口の写真付きインタビューは、夕刊毎日より早い2月24日付読売にも掲載されている。捜査本部が「太田成子」とナゾの男を有力容疑者と断定し、全国に手配したと報道。「山口君」が「直接記者に語る、ナゾの男女の人相、風体、生々しい当時の模様である」として次のようなやりとりをしている。
犯行の前後を通じて、2階に寝ていて何も気づかなかったか―
「よく寝ていたので全然気づかなかった」
問題の女中と口をきいたか―
「21日夜8時半ごろ、食事のときにご飯をよそうと、『半分に減らして』と言ったとき、深夜同室の男のことを弁明したときの2回だけ。別に言葉にナマリはなかったようだ」
君はいつごろからあの店に雇われていたのか―
「昨年12月10日、雇われた。おやじさんは気のいい人だった」