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連載大正事件史

「10年以上も同棲している女があるにもかかわらず、恋愛関係に入るとは…」大正の『スター』をめぐる四角関係と“金の切れ目”

「10年以上も同棲している女があるにもかかわらず、恋愛関係に入るとは…」大正の『スター』をめぐる四角関係と“金の切れ目”

湘南のリゾート名門旅館での「惨劇」#2

2022/10/16

「金の話まで出れば、僕はもう君と一言もかわす必要はない」

 市子の供述は、「自叙伝」での大杉の記述と異なる部分がある。「自叙伝」によれば、事件直前の会話では、市子が「野枝さんがきれいな着物を着ていたわね」と言うと、大杉は「そうか、そういう意味か。金のことなら、君に借りた分はあした全部お返しします」と返答。「金の話まで出れば、僕はもう君と一言もかわす必要はない」と言い放った。後藤から受け取った金の残りのことが頭にあったのだろう。その後のことを「自叙伝」は次のように書いている。

 少しうとうとしていると、誰かが布団にさわるような気がした。「何をするんだ?」。僕は、からだを半分僕の布団の中に入れようとしている彼女を見てどなった。「(伏せ字11字)」

「いけません。僕はもうあなたとは他人です」

「でも、私悪かったのだから、あやまるわ。ね、許してくださいね。ね、いいでしょう」

「いけません。僕はそういうのがだいきらいなんです。さっきはあんなに言い合っておいて、その話がつきもしない間に、そのざまはなんていうことです」

 僕は、彼女の訴えるような、しかしまた、情熱に燃えるような目を手で斥(しりぞ)けるようにしてさえぎった。

 市子がのちに出版した自叙伝などにはこの部分はない。どうも大杉が自分を“カッコよく”書いた気がして仕方がない。一方で、この通りなら市子の哀れな心情が浮かび上がる。

「要するに、3名とも畜生道に落ち、けものに等しいものである」

 1917年3月2日の第2回公判では山口竜作検事が論告で口を極めて非難した。「被告、栄、野枝の3人は、自由恋愛の仮面の下に情夫の争奪戦にふけりおるもの」「彼らは色情狂にすぎず」「彼らは彼らの情交を続けるうえに最も好都合だということで自由恋愛をとなえるのみ」「要するに、3名とも畜生道に落ち、禽獣(けもの)に等しいものである」(3月3日付東朝朝刊)。

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 そして3日後の3月5日に出た判決は―懲役4年。3月6日付東日によれば、大杉に対する憤恚(ふんい=怒り恨む)と野枝に対する嫉妬が合して殺意を生じ、犯行に至ったと認定。

一審判決は懲役4年だった(東京日日)

「節制のない婦人の乱行で、新しい思想を有する婦人の欠陥を暴露したもの」とした一方、大杉にも責任があり、被告に同情できる点もあると述べた。「大杉の邪説に耳を傾け、関係を続けたため、ついに事件に至ったもので、秩序維持、道徳擁護の点から相当厳重に処罰するのもやむを得ない」と結論づけた。

 市子は控訴し、3月7日に保釈で出獄。この時もメディアの格好の“餌食”になった。中でも、大阪毎日は3月8日付と9日付朝刊に「獄内の神近市子より」という独占手記を掲載。「彼女の生のページを赤い血に染めた敗恋史に見る告白」とした。

 その中で市子は犯行の動機は「全部大杉に対する怒りだ」と強調。こう説明した。

「私が怒ったのは、前後を通じての大杉の不誠実と、少しばかりの位置と名声が惜しくて、あれほど立派な口を利いていた男が無意識に詭弁をもてあそんだ醜悪さと、隣人の生活を脅かして、それを天下のやつにはできないことだと痛快がっていた、そのふやけた小児らしい態度にあるのです」

 そのうえで、愛する者に背かれた苦悶は否定しなかった一方、大杉が野枝を愛したから刺したという見方を強く否定。嫉妬が動機ではなかったと、公判での供述を覆した。

「大杉を殺すというより、私は自分の憤りを吐き出さねばいられなかった」「長い間、形の不明瞭なものをヂリヂリと押しつけられていた私は、それをはねのけてみなくてはいられなかったのです」

 それが市子がたどり着いた境地だったようだ。