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「収入の道が減じたので、私は融通しました。それが、大杉と野枝のふざけた一部分の費用に充てられたことが分かったので…」

 ここで裁判長に「自由恋愛の条件は」と聞かれ、市子は3条件を挙げたうえでこう陳述した。

市子 大杉が世の中に自由恋愛の一編を書いて以来、世間の反感を買って、収入の道が減じたので、私は200円(現在の約66万円)を融通しました。それが、大杉と野枝のふざけた一部分の費用に充てられたことが分かったので、それも不平の原因となったのです。そうして昨年11月3日、大杉が私を訪ねた時、大杉に約100円(同約33万円)の収入があったので、そのうち50円を堀保子に、20円を下宿へ与え、なお野枝に着物を質から出してやったことを聞かされ、私だって綿入れもないのに……

 記事は「普通の女の嫌味を言う」と書くが、市子の着物も大杉への援助のため、質に入っていたということ。そして、約100円の収入があったというのは、この日大杉から聞いた話のままだが、実際は300円(約99万円)だった。

 これは実は、時の内務大臣・後藤新平からせしめた金だった。大杉が1923年に出版した「自叙伝」にはそのいきさつが書かれている。

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 野枝は大物の国家主義者・頭山満の遠縁で、頭山のところに金策に行ったところ、政界の黒幕といわれた杉山茂丸を紹介された。杉山が大杉に会いたいと野枝に言ったので、大杉が行くと、思想を軟化させればいくらでも金を出すと言った。

 その際に何度も後藤の名前を出したことから、大杉は内務大臣邸に後藤を訪ねた。「日録・大杉栄伝」によれば10月30日だった。「金が少々欲しい」と言うと、後藤は自分のところに来た理由を尋ねた。

「政府が僕らを困らせるんだから、政府へ無心にくるのは当然だと思ったのです。そして、あなたなら、そんな話は分かろうと思ってきたんです」と答えると、「ごく内々に」という条件で300円出してくれた。

 大杉はその金から保子に50円を渡し、野枝に30円を渡して着物と羽織を質から請け出させた。まだ200円は残っていたと「自叙伝」にはある。後藤がなぜ大杉に金を出したのかはよく分かっていない。

「殺して彼を奪おうと…」

 供述はいよいよ犯行当日のことに移る。

市子 凶行の前日、大杉の下宿へ電話をかけると、野枝と2人で葉山へ行ったという話を女中から聞き、マサカと思いましたが、葉山に行くと、はたしてそこに野枝もおりました。野枝は私の顔を見て不快な顔ざし、3人は互いに嫌な心持ちを抱いたまま、一夜を明かしました。野枝は翌朝、急に用事ができたと言って東京に帰りました。その後で、私は大杉に向かい、私と野枝と3人が一堂に集まるということはあさましいとなじりますと同時に、あなたは金のある時とない時とは態度が全然変わりますねと申しますと、彼は非常に立腹しました。

 しかし、私としてはこのまま彼と別れたくありませんので、仲直りをしようと言いますと「あなたとの関係はこれでおしまいだ」と申して立腹し、何と言っても私の言うことは聞きません。そのまま別室で寝に就きましたけれども、私は残念でたまらぬ。いっそ彼を殺して野枝から彼を奪おうという考えがムラムラと起こり、熟睡中の彼の頸部を、携えてきた短刀で刺しました。

 最後に裁判長が「大杉の唱道する自由恋愛は実行し得るものと思うや」と問うと、市子は「どうだか分かりません」と答え、この日の審理は終わった。