ところが、相手はナイフを見てもまったくひるまない。
「てめえら、怒羅権だろ!」
そう言うやいなや、その輩は私に強烈な蹴りを放った。
蹴りを受けた衝撃で私は後ろによろけたが、足を踏ん張って振り子のように元の体勢に戻り、その反動を利用して相手の背中に果物ナイフを突き刺したのだ――。
もっとも、いつもナイフで人を刺していたわけではない。喧嘩の際には躊躇(躊躇)せずにナイフを抜くが、それを実際に使うのはむしろレアなケースだった。
大人数が入り乱れる乱闘になると話は違ってくるが、通常の喧嘩ではこちらがナイフを見せた瞬間に相手が怖じ気づいて腰を引く。刃物というのは、それくらい相手に大きな恐怖心を抱かせる。つまり、私は戦わずして勝つためにナイフを持ち歩いていたのである。
「俺のお守りは、こいつだ」
その後、私は果物ナイフより大きなサバイバルナイフを所持するようになった。
1980年代後半に日本で公開されたシルベスター・スタローン主演の映画“ランボー2〞(『ランボー/怒りの脱出』)を観たことのある人はきっと多いはずだ。
私も当時、日本語吹き替え版で“ランボー2〞を観た。
この作品においてサバイバルナイフは極めて重要は役割を果たす。
たとえば、ランボーはゲリラ戦で音もなく敵に忍び寄ってナイフで喉を切り、銃撃よりも素早くナイフを投げて敵を倒す。捕虜収容所に侵入する際は、ナイフのセレーションを使って鉄条網を切断した。
とくに印象深かったのは、シンガポール出身のジュリア・ニクソン=ソウルという女優が演じたベトナム人女性のヒロイン、コー・バオとランボーが河原で交わすやりとりだった。
コー・バオがヒスイのチョーカーを見せて「これが私のお守りよ」と言うと、ランボーはサバイバルナイフを手に持ち「俺のお守りは、こいつだ」と答える。
ランボーにとって、サバイバルナイフは単なる道具ではなく、他のどんな武器よりも大切な「何か」なのだ。それは魂に近いものなのかもしれない。
この映画を観た者は大人も少年もサバイバルナイフに憧れを抱き、映画公開後は「ランボーナイフ」と称するレプリカ品が大人気になった。
私も同じだった。単純にサバイバルナイフに憧れて欲しくなったのだ。そして、私のナイフを見て仲間たちも欲しくなり、彼らも持つようになった。
Iがサバイバルナイフを所持していたのは、ただそれだけの話にすぎない。